恋と革命とデモ

フジテレビが韓国のドラマばかり流していることを批判するデモがありましたね。
その主催者が、活動を通して恋人ができたため、デモから引退する、とのことで。
当人のブログから引用。

2011年9月19日月曜日
もう知っている方も多いと思うけど… 表のブログの最終更新終わったので、こちらのブログや
Twitterアカウント・ニコニコ動画のアカウントも消そうと思っています。
理由は前から言っているけど、第一期としての自分の存在が続けば
今後立ち上がる人々にとって最大の障害になること、また自分が
攻撃対象になってこの運動自体が批判されることが予想されるから。
また、この第一期を通じで知り合った468さんと結婚を前提に付き合っています。
今まで色々な活動で男女間の問題が活動自体の障害になってきたしまった例を見たり聞いたりしているので、この様な事になった自分にはもう表舞台に立つことは許されないことだと。
なので、皆様の運動を陰ながら支援する立場に回ろうかと考えています。
本当に皆様ありがとうございました。

2011年9月14日水曜日
「全ての責任を取る。」
あの日そう心に決めて、皆に約束をしてから第一期が役目を終えるまで、ずっと覚悟を決めていた。
仕事を失う事も、そして晒され世間から見放される事も。
正直、自分自身弱い人間だから、虚栄を思いっきり張って大丈夫なフリをして、みんなを騙し続けていたんだろうね。
騙し続けた結果それが真実となり、あの様なすごい事になった。それは決して誉められる事でもなく、称えられる事でもない。
また、大きな約束をした。今度は大切な人を守り続けるという事。
今回の事を忘れないように心に刻み、これから歩んで行こうと思う。

彼がもうデモをやめることにした理由は、全部が全部「恋人ができたから」ってわけではないと思う。実家の親がうんぬんとか資金とかなんとか。
でもそんなことはどうでもよくて、公式な理由に「恋人ができた」ことを挙げたのが問題だよね。つまりそう説明するのがいちばんよい、とこの人は判断したわけだから。
先日、池袋のシネマロサで『童貞。をプロデュース』というドキュメンタリー映画を見た。題名のとおり、こじらせ気味の童貞から、その童貞性をうばってやろうと監督が奮闘する、いわばおせっかいな話だ。
童貞には童貞なりのつらさがある。「自分が童貞である」ということ自体のつらさだ。それは、ある段階での自己承認欲求が明らかに満たされていない、満たされたことがない、という厳然たる事実をあらわす。長いあいだその状態が続いた童貞は自意識の殻に閉じこもり、よけい、現実の、やれそうな女性と接触する気概を失う。
この映画のパート1は、そういう童貞の末期症状に陥った男を、監督が「女を知れ!」とAVの撮影に引きずり込もうとする。でもまあ、いまはちょっと関係ないかな。
私がこの映画を見て思ったのは、好きな女(男でもいい)を抱いたからといって、それまでのつらさがすべて帳消しになるわけではないのだな、ということ。当たり前である。自分ではない誰かと人間関係を続けていくのは、そこからえられる快楽に比べても、割りに合わないくらいめんどうな営みである。
女の子がちょっと人生に行き詰まると、「結婚したいな」とつぶやく。ちょっと待って。「人生を劇的に良い方向に変える=結婚」の方程式はまだだれも証明していない。
童貞卒業も結婚も、蜘蛛の糸とか大貧民の「かくめい」ではないと思う。そんなふうに考えているうちの人生はまだ、本番じゃないような気がする。
「彼女ができたからデモをやめます」、て、彼の中で完結しているならそれでもいい。幸せになればいいと思う。ただ、それを理由にする程度には、彼は恋愛至上主義に侵されていて、世間もそうだと考えているってことなんだろうなあ。
もちろんしないよりはしていたほうが、私は楽しいけど。でも、主菜じゃなくてスパイスくらいがいいかな。

1ヶ月セキララ日記

メールマガジンや雑誌なんかで「誰々の一週間に密着」みたいな企画はうけるらしい。たしかに、のぞき見趣味を満たしてくれるし、なんとなく読んでしまうものね。
と、いうわけで。前回の更新からたまたまちょうど一ヶ月があいたから、私の一ヶ月セキララ日記をお届けしたいと思います。
8月10日
家族で那須へ。『ムトゥ 踊るマハラジャ』を鑑賞。
8月11日
茶臼岳に登る。きつくてやめたくなったが途中からクライマーズ・ハイが訪れる。『シッピング・ニュース』を鑑賞。
8月12日
日光へ。1時間半並んで食べた天然氷のかき氷がおいしかった。
8月13日
家の鍵を紛失したので塀をよじ登って侵入した。こんなこと小学生のときにこなしておくもんだと思った。
8月14日
ラジオ体操に出かけたら小学校が工事中だったので、井の頭公園を歩いて運動欲を発散した。
8月15日
前夜から祖母の家で過ごす。祖母の住むさいたま市は制度が充実しており老人に優しすぎる。家に帰ってから『潮騒』を読む。
8月16日
思い立って『三国志』をすべて揃える。ゴーヤーのてんぷらと初物のさんまをいただく。
8月17日
ストリップショーを見たあとにゲイバーに行く。自分はヘテロセクシュアルの女性なので、女性器をじっくり見る機会はめずらしかった。ゲイバーでは文化人の方々とお話しし、連れて行った後輩に感謝されて得意になる。
8月18日
古本屋に歩いて行き『さよならみどりちゃん』と『サラリーマン田中K一がゆく!』と『太陽の季節』を購入。帰りの道すがら前者2冊を読み切る。
8月19日
原宿にあるクリエイティブ業界人御用達っぽい時間貸しオフィスに行く。のち吉祥寺のジュンク堂で10冊くらい本を買う。夜に『パイドロス』を読む。
8月20日
グループホームに入居しているほうの祖母を訪ねる。認知症が進んでいて私を思い出せなくなっていることについて(もう慣れちゃった)、向かいの席にいたおばあさんに泣かれる。
8月21日
夜の東大駒場キャンパスを散歩したら真っ暗で人っ子ひとりおらず、マッドサイエンティストに捕まってホルマリン漬けにされる妄想が止まらなくなった。
8月22日
代官山のち代々木上原のち六本木。『グラス・ハーモニカ』という映像を鑑賞。子供の頃に見ていたチェコアニメを思い出す。小雨が降ったので代々木上原に自転車を置いて行く。
8月23日
荻窪でタイ料理を食べる。自転車の回収ならず。
8月24日
散歩に出たら雨に降られる。自転車の回収ならず。
8月25日
取材に行って原稿を書く。代々木上原まで歩いて15分くらいの場所に行ったのに鍵を忘れ、自転車の回収ならず。
8月26日
早朝、代々木上原に行き自転車を回収。その後雨に降られ、今度は恵比寿に自転車を置いて行く。
8月27日
ひさしぶりに「さぼうる」に行く。蚊に食われまくる。ちなみに代々木上原には「茶望留」という喫茶店がある。自転車の回収ならず。
8月28日
完全なるすっぴんで外出してしまう。インターンのち高知ゆきの夜行バスに乗り込む。自転車を回収できなかったことは言うまでもない。
8月29日
バスが嫌で徳島のどこかで勝手に下車、四国は電車の便が悪いことに気づき後悔する。9時間かけてたどり着いた高知でかつおのたたきを食べ、高知城やアーケードを見て満足したのちに小説版『海がきこえる』を購入して読破。
8月30日
高知の町を自転車で散策。当然だが置いて行ったものではなく、レンタサイクルである。前日の長時間に及ぶ乗車が辛かったので奮発して特急券を買い、香川へ向かう。速すぎて驚いた。坂出でうどんを食べ、明石へ。友人の実家に泊まらせていただく。友人の年齢を初めて聞いてびっくりした。
8月31日
涼宮ハルヒ』の聖地巡礼に付き合うものの、なにもわからなかった。つーかこれからっしょ!梅田に行ったけれど特になにもなかった。その後、六甲山から神戸の夜景を見る。車中の尿意が大学に入って以来最大のもので、気を失いそうだった。
9月1日
朝までWiiスーパーマリオブラザーズ。寝ているあいだに足の裏に「おっぱい」と書かれた。明石焼きとお寿司をごちそうになったあと京都へ。いくつか取材をし、いとこと飲み、東京でたまにお手伝いに行っている会社の支社(一軒家を借りている)に泊まらせていただく。
9月2日
京都。台風で気が滅入る。帰ろうと思ったが電車に乗る気力も起きず、喫茶店のお兄さんから教えてもらったきれいなカプセルホテルに泊まる。それとは別の喫茶店にも入ったが、店主のスピリチュアルな話がぜんぜん理解できなかった。
9月3日
早い時間の東海道線に乗り熱海あたりで温泉につかって帰京するはずが、台風で通行止め。神戸に中学から大学までずっと一緒の友人がいたので、大阪でお茶して早めの夕食をとる。お好み焼きだった以外は東京とまったく変わらないことをした。その後、京都発の夜行バスが出るまで、これまた中学から大学までずっと一緒の先輩と会う。
9月4日
無事東京に着く。その足で新大久保にあるチムジルバン(韓国のスーパー銭湯みたいなもん)に行き、少し疲れを取ってからインターン先へ向かう。自転車の回収ならず。
9月5日
童貞。をプロデュース』鑑賞。映画館で他人と一緒に見るのがなんとなく恥ずかしかった。自転車の回収を怠っているうちに真っ黒のクロスバイクに一目惚れし、購入。
9月6日
ついに自転車を回収。帰り道で雨に降られたが、最後だと思って家に連れて帰る。
9月7日
新しい自転車が納車される。ためしに35kmほど漕ぐ。よい。妹に西荻窪のBoBoLiでアイスをおごってもらう。この夏、何回食べているかわからない。
9月8日
等々力渓谷へ行く。自動販売機で「KIRIN LOVES SPORTS」のボタンを押したら「スパークリングアクエリアス」が出てくる。まったくおいしくない。
そんな感じ。意外とまいにちなにかしていますね。「カレログ」されたら困ります。

伝えられない、ということ

ちょうど1ヶ月前、夜行バスに乗って岩手県大槌町に行った。いうまでもなく、こんどの震災で大きな傷を受けた場所だ。町長をはじめ、町役場の課長クラス以上の職員のかた全員が、波に呑まれた。
津波が町を襲い、家の骨組みや泥が川を逆流した。その川には鮭を孵化させる施設があり、毎年、成魚が遡上するそうだ。でも、津波に襲われたままの川には、鮭が戻ってこられない。
東京にいながら復興支援について思考を巡らせ続けることに、限界を感じていた。義援金もほとんど出せない(「経済を回す」のも重要だとかそういう議論がありましたよね)、特別なスキルも人脈もない、でも、お役に立てるならば立ちたい。
いつかどこかで、体を動かしてボランティアをするのだろう、と思っていた。ほとんど直感だ。少しだけれども書く仕事をしている者として、行って、見て、感じたことを、「行かない」という選択をした人に伝えられるのではないか、とも思った。私が書けば、それを読んでくださるであろう人の顔が、何人も思い浮かぶ。ちょっとした下心だといっても差し支えない。それはおそらくジャーナリズムとはちがうものだから。
大槌町で川の清掃をしませんか、という告知が大学のボランティアセンターからされた。「行くなら今だな」と思った。申し込みをしたら抽選に通過し、派遣されることが決まった。
先に結論をいえば、私は非力だった。マンパワーになろうとすれば熱中症で倒れ、見たものを伝えようとすれば1ヶ月が過ぎたあともなにも書く気になれなかった。
でも、そのことくらいは書いておこうと思う。おそらくそれがいま私のとれるもっとも誠実な態度だ。
「報道では伝えられていない被災地のなんちゃら」みたいなことはいいたくない。というかいえない。NHKニュース(「おはよう日本」)と朝日新聞石巻日日新聞にしか触れていない(ツイッターのようなネットメディアさえほとんど見ていない)私が、メディアの取りこぼしを把握できているわけがないから。
もしくは、「言葉にできないくらいの被害」ともいいたくない。私は私の日常生活ですら、すべてを言葉にできるわけではない。事の大小を問わず、言葉にしきれないことがあるのなんてあたりまえだ。
事実を真摯に書こう。
10時間以上の長旅を経て、夜が明けた。バスの窓から見えたのは海だった。
朝の光に照らされた海は静かに水を湛えていた。
東京に住んでいるからだろうか、よく「海を見に行きたい」と思う。今も思う。「海を見たことのない重病人ふたりが病院を抜け出し、冥土のみやげに海を見てから死ぬために奮闘する」というストーリーの映画(『ロッキン・オン・ヘブンズ・ドア』)が好きだ。ディズニーシーも大好きだ。
美しく楽しい「海」は、たしかに海のもつ数少ない顔をとらえているにすぎない。しかし、大槌町で見た海が「本当の海の姿」とはいわない。でも、あの、ゆるぎなく現前していた海のことを、私はしばらく忘れられないだろう。
掃除をした川からはさまざまなものが出てきた。もと柱、もと食器、もとコンドーム。もうだれにも所有されていない。犬のぬいぐるみをゴミ袋に入れられずに川岸にほうっておいてしまった私はボランティア失格だと思う。べつに人間としても合格じゃない。
太陽の下、35℃、長袖長ズボンにレインコートを着て、顔にはゴーグルとマスク、頭にはヘルメット、脚は長靴が覆う。いくら休んでも、いくら水を飲んでも、ひとたび川のぬかるみに入って泥を掬えばすぐにのどが乾く。寒気を感じて木陰に座っていたはずが、バスで寝かされていた。
「車窓からでも、いちばんひどい被害を受けた地域を見ていってほしい」と言われた。そこで見たのは、たぶん報道とはさほど変わらない光景だ。
海岸のすぐ近くの土地は、広い空き地なのかと思った。が、よく注意して見ると、家の土台らしき四角くて大きくて平べったい石が並んでいる。なにもかも流されているから、そこに家があったと気づくことができなかったのだ。いわゆる半壊状態の家のほうが、現実味をもって津波のひどさを伝えられる。でも、もっとひどいところは、「流されちゃってなにもない」。ほんとうになにもなかった。
べこべこにへこんだ車を何台も見た。そんなの映画やアニメ以外で見たことがなかった。でも、映画やアニメで見たことがあったから、初めて見るくせに既視感があった。気持ち悪かった。
「帰ってきたら誰かに伝えよう」という気持ちが消えていったのは、そのあたりだった。「もしもこれが自分の地元で起きたことだったら」という考えが頭をもたげた。そうしたら、もう冷静に事態を眺めることができなくなった。そこに住む人の気持ちを想像することはできなかった。その事実がよけい私を動揺させた。
前後の座席では、同行者たちが町のようすをカメラに収めていた。車内で話す者はだれもいなかったが、レンズの動く音だけは聞こえた。
私は写真を撮る気にはなれなかった。それが善や悪に還元できるということではない。ともかく、私が写真を撮って帰ることにはなにも意味がないように感じた。カメラを持った私はおそらく、意図的に、被害のひどい箇所にピントを合わせてシャッターを切る。そうすることが、どうしてもできなかった。
文章を書くのだって、写真を撮ることとほとんど変わらないのではないか。そう思ったらもう当初の下心は失せていた。なにか答えのようなものを出すことは、長らくできなかった。というか、いまもなにかいえるわけではない。
そういうわけでブログを更新できなかった。まさに言葉を失っていた。もうまじめにものを考えるのにも疲れ切っていた。
でも、このままではいけないな、とも感じていた。文章で食っていこうと思っているならば、書いてしまう図太さもあったほうがいい気がする。そもそも、伝えることは自分の仕事だとも、これはおそらく要請されているような気分で、思っていた。
そういうわけで、ちょうどひと月でいい機会だと思い、見たものと感じたことを書いてみた。ピントが合っている位置はかなり恣意的なはずだ。でも、これに意味がないとも言い切れない。
書いてみて意味があると思ったから公開しているけれど、ほんと、どうなんだろう、という感じだ。これがなにかの役に立てばいいのだけれど。

宣伝とちょっとした近況

こんにちは。夏休みが始まりました(そこまで熱心に大学に通っているわけではないので、年々夏休みがありがたくなくなるのですが…。そもそも休み期間のほうがいつもいそがしい)。
きれいに晴れたと思ったら通り雨がざあっと降ってきたり、ちょっと変だけど気分のよいお天気が続いていますね。道路に大きな水たまりができて、そこに晴れた空が映って視界が水色で埋まるのが好きなんです。
8月後半に西日本(九州とか四国とか)にでかけようと思っているので、それが楽しみです。だいすきなアニメ『海がきこえる』の舞台にいちど行ってみたくて!
あとは向こう半年間、インターンで働きます。というか、先週末から働きはじめました。新卒採用のためにしているインターンではないので、プログラムでもなんでもなく、普通に働いています。したかったことなので、これからの仕事もとっても楽しみ!会いたかった人に、仕事で会えることになったのです。今から胸が弾みます。
さて、宣伝です。制作に関わってきた雑誌(おそらく同人誌というのが正しい気がするのですが、エッチなものだと勘違いされてしまいがちなので…)が発売されました。文学部生を中心にした映画雑誌です。
詳細は以下のURLを参照していただきたく思いますが、「映画批評MIRAGE」という誌名のとおり、批評がメインコンテンツです(正直、批評についてはちょっと私はなにがなにやら…すみません)。今号はなんとあの四方田犬彦先生が寄稿なさっています!そして私は「映画の環境」という特集内の取材やライティング、あとはエッセイを担当しました(具体的には、日本映画大学インタビューのライティングと、「映画無名人インタビュー」。90代のおばあちゃんに、映画について思うところを伺いました。あれは楽しかった)。160ページで315円(税込)なので、かなりお得です!(身銭切ってます!印刷代のために単発でアルバイトしました)
早稲田大学の生協、新宿御苑の近くにある本屋「模索舎」で直接お買い上げになれます。もしくは、cinema.mirage1026@gmail.comまでメールいただければ、380円で指定のご住所にお届けすることもできますよ。もしくは私に直接ご連絡いただいても。読んでくれたら、ほんとうにうれしいです!
公式サイトはこちら。http://cinemirage.hostoi.com/
声をかけてもらってから週に1度の打ち合わせに行くようになり、大学に入学して以来ずっと特定のコミュニティに所属してこなかった私に居場所ができたみたいで、すごくうれしいのです…。映画、ぜんぜん詳しくないけどね…。
映画といえば。
ここ1ヶ月で『奇跡』と『スーパー8』を見ましたが、どちらも出てくる少年がとにかくかわいかったです。監督が子ども好きなんだろうな。意外に思われますが、私も子どもがだいすきです。じゃなかったらこんな映画見ない!
『奇跡』は、両親の離婚で離ればなれに暮らすきょうだいのお話。長男長女が見ると、胸がきゅーっとなるんじゃないかな。トトロでサツキに感情移入してしまうあの感じがわかる人なら、なおさら。やっぱり次男次女たちがてらいなくほがらかにわがままを言えるのは、見ていて気持ちが良くてうらやましいんです。ちなみにタイトルから勝手にいやなふうに泣かせる映画を想像していたけれど、そんなことなかった!日常っていいものだなあと、しみじみ思わされました。
『スーパー8』はおそらく脚本につっこみどころがたくさんあるのでしょうけれど、私は好きでした!よくわからないけれども壮大なストーリーに、大団円のハッピーエンドに、あとは子役が全員すばらしい!とにかく主人公の少年がかわいすぎる…。まさに映画!って感じの映画で、よかったです。スクリーンで見るのがおすすめ!
少年といえば。
このあいだ、知らない街で雨に降られて知らないお宅の軒先で雨宿りしていたら、知らない男の子が「どうしましたか」と声をかけてくれて、傘に入れてくれました(ものすごい中腰で歩くはめになり、ほとんど入れてもらった意味がなかったけど)。まだ7歳で、39歳のお父さんによく「ベイ」(ベイブレードのことらしい。お姉さんが小学生だったときからあったよ、と伝えたらひどく驚いていた)で遊んでもらうそうだ。これから児童館ですいか割りをするそうで、適当なところで別れました。かわいかった!
私は急な雨に遭っても傘を買うことはほとんどありません。いつもどうにかなるから。雨は必ずやむものだし、あとはだいたい、誰かが傘を貸してくれるし。そういうふうに生きてこられちゃったのです。
ともかく、将来自分が子どもを持ったら(ちなみに4人くらいほしいのですが…)、善意でも物でもなんでも、あげたりもらったりして、生きていけるような子に育ってほしいです。さきほどの男の子にはお菓子でも買ってあげたかったけれど、最近は「知らない人からもらった食べ物を口に入れてはいけません」だからね。世知辛い。
それではみなさんいい夏休みを。ちょくちょく更新しようと思います。

ゆきりん

おひさしぶりです。2011年も下半期が始まってしまいました。というか、7/12が終わろうとしているんですね。で、また同じ季節にこんな話を来年も再来年もするのでしょう。そんなふうにちょっと先の具体的な想像ができる人生って、素敵ですよね。あ、べつに?
なんだか更新をさぼってしまいました。ひとことで理由を説明するのは難しいのですが、簡単にいえば「たぶんボランティアに行った話が期待されているのだろうけれどもまだ消化不良を起こしているので何も書けない」という自意識過剰ぎみな心情によるものが大部分です。ほかにも、お勉強やお遊びが忙しかったりして、日々の諸々に追われていました。ボランティアに行った話はちょっとまだ待ってください。あ、でも、たぶん近いうちに、大学のボランティアセンターのサイトに短い文章が載る予定です(作業中に熱中症でダウンしたくせに厚かましく「体験記を書きたいです!」って立候補させてもらっちゃいました)。ちなみに本名で。当たり前ですが。
「最近なにしてるの?」という質問に答えるのはあまり得意ではありません。だいたいいつもたいしたことはなにもしていないからです。先月の今ごろまでは「雑誌を作っているんだよ」と話していたのでしょうが、ぶじ原稿を印刷所に持ち込み、今はちょうど鬼の居ぬ間の洗濯、じゃなくて、「戦士の休息」なのです(この単語の意味がわからない人は、わかるまで「耳をすませば」を何度でも見てください)。作った雑誌については、また宣伝させてください。映画の雑誌です。レビューというよりも、もっとがちがちの、いい意味で学生らしい雑誌だと思います。
ブログを書かなくなったのは、以前のように、ものごとを考えてもうまくどこかに着地できなくなっているから、というのもあります。最近「主義主張のない人間だ」と言われたのですが、まあそのとおりで、ひとつを選んでしまうことが怖いんですよね。
友人(彼女いない歴=半年超)の誕生日に『モテる男はこう口説く!』(マーチン)という本をプレゼントしたり、「色気がない」と複数名の男性から言われたりしたのがきっかけで、この一週間くらい、恋愛を題材にした本や漫画や映像にものすごくたくさん触れました。で、すごく疲れて、さまざまな局面でどういう行動をとるのが正解なのかわからなくなりました…。もちろん正解なんてないんだけど。で、かんぺきさを求めてはいけないんだけど。
いくつかご紹介しておきます。
草食系男子の恋愛学』(森岡正博)は、学者の書いたものなので「恋愛学」のお勉強の本かと思ったら、やさしい恋愛マニュアル本でした。前に書いた『モテる男はこう口説く!』が女の子を性欲の対象としてしか捉えていないのに対して、ちゃんと人間として恋人としてつながろうとするためにどうすればよいか書いてあって、なかなか好印象でした。特に、女の子が生理でどれだけつらいかとか、セックスでどういうふうに気疲れしているのかとかが書いてあるパートがとてもよかった(私は「もっとも恥ずべきセックスは、相手の弱みにつけ込んで、相手を自分の欲望達成の道具にするようなセックスだ。このようなセックスが地上から消えてなくなることを、私は真剣に願っている」という締めの文章を読んで大いに心動かされ、筆者にメールかなにか書きたくなりました)。でも、これを読んでから恋愛に挑もうとするような男は嫌い。心のつながりとかなんだかんだいってるけど、結局はやりたいんじゃないの?素直になっていいのに…と思ってしまうのですが、個人的な意見でしょうかね。ごめんなさい。
そういうわけで、リアルに感じられたのは『モテキ』(久保ミツロウ)でした。ドラマはDVDを揃えてしまうほど熱心に見ていましたが、じつは漫画をしっかり読み通すのは初めてでした。本気で好きだったり、相手のことをちゃんと理解したり、自分のことを全部さらけだしたり、しなくてもいいでしょ、っていう姿勢で物語が転がっていくのが気持ちよかったです。「理想の恋人」とか、「ぴったりくる人」とか、いませんから。そういう世界で相手と関わっていく「めんどう」を快楽に読み替えるのが、人間としての力なんじゃないかと思います。
内田樹先生が『街場の現代思想』で、こんなことをおっしゃっていました。人間は、こと恋愛において、最悪の結果を予測しがちだ。つまり、相手の言動をどんどん悪いほうに裏読みしてしまう。そうすると、そういう未来が訪れてしまう。だから、「私はこの人のことがよくわからない(でも好き)」なんて姿勢でいるのがいちばんよいのだ。理解も共感もできなくても、抱きついたら向こうも腕を回してくれる。それで充分なんだそうです。そういう相手とも人間関係(ひいては婚姻関係)を築くことができるのが、人間なのだと。ふむ。
ちなみに、相手の言動を良いほうにしか解釈できなくなったら、あなたはストーカーの素質があるそうです。せっかく好きになった人なんだから、迷惑をかけないように気をつけてくださいね。『草食系男子の恋愛学』に書いてありましたが、まったくもってそのとおりだと思います。
そういえば、「夏だから恋人がほしい」と言う人に恋人ができているのを見たためしがありません。たぶん恋愛にファンタジーを抱きすぎなんだと思います。そういうわけで、なんとなくそういう感じがするから(ウィキペディアの「柏木由紀」の頁を見てみるがいいさ、幻想のかたまりみたいになってるから)、ゆきりん好きな男は嫌いです。

爆音映画祭に行きましたよ

自宅からチャリで6分の場所にバウスシアターという映画館があって、24日の金曜日から「爆音映画祭」というなんともキャッチーな名前の映画祭を開催しています。その名のとおり、爆音で映画を見る、というイベント。なんでもライブ用のサウンドシステムで上映するそうで、パンフレットによると「世界一、音の良い映画祭」とのこと。言い切る感じがとても好き。
都民が東京タワーに行ったことがないのと同じような心持ちで、吉祥寺でとくべつなことをするのはなんとなくためらわれて、いつも気になってはいたけれども行ったことがなかったのです。が、映画好きの友人が最近になってたくさんできたり、好きな映画が爆音上映されるのを知ったりで、開催4度目にして初めて見に行ってきました。
朝の7時半から3時間ちかく並んで(これは私が情報弱者ゆえのことで、販売開始1時間前くらいに行けばほぼ確実に買えるようです。そもそも前売り券を買うべきだった…)、いろいろ悩んで『キック・アス』と『AKIRA』を見ることにしました。
どっちも、映像がでっかく動いてひとが死にまくる映画。
キック・アス』のほうは(おそらくわざと)思想性を排除していて、悪と見なされた相手は迷わずぶっ殺してよいことになっている。中途半端に正義だとか悪だとかの正当性を疑ったりしないし、観客にもそれを求めない。そのほうが、アクションシーンの大量殺戮でスカっとできる。
AKIRA』はすっごい複雑。最後まで見終わって、世界観をなんとなく理解できるくらい(それは私の頭の力が弱いだけかもしれないけれど)。ひとりの少年が大きな力を手に入れてしまうのだけれど、彼はまだ精神的に幼い。というか弱い。そのアンバランスさが力の暴走を引き起こしてしまい、建物や道路や都市ががらがらと崩れていく。
なにかがなにかと戦う物語は、だいたい「正義と悪」の扱いに苦労しなくてはいけないように思う。最近の『ダークナイト』とかサンデルブームなんか考えると、よけい。「正義」とか「悪」という概念は相対的なものだし、「ワルモノにはワルモノなりの正義がある」。こういう考えかたがずいぶん広まった気がするが、これに適当な答えを用意してしまうと物語の結末がなんとなく気持ち悪いものになる。中途半端な正論は、えてしてつまらないのだ(『トイ・ストーリー3』が唯一失敗したのはここだと思う)。
そんなことを考えると、振れ幅の大きな2本を一気に見たのかもしれない。『キック・アス』での「正義」と「悪」はもはや物語を進めるうえでの前提になっているが(こいつらはワルモノだから殺されて当然、と観客に思わせるようなずるい描きかたをしていないところがいいよね)、『AKIRA』は最後まで見てもけっきょく誰がなにと戦うべきだったのかよくわからない。どちらもスクリーンをめいっぱい使ったアクションの場面が多いけれど、私はどちらともぜんぜん違った気分で見ました。
キック・アス』は2回目だったので、なんていうか、ディズニーランドでアトラクションに乗るような気分。なにが起きるかわかっているけど、それが充分おもしろい。私は映画の結末が読めなくてハラハラするのがとても苦手なので、2回目からのほうが純粋に映像を楽しめる。
で、爆音だからね。もう、ちょう気持よかったです!音楽のセレクトも最高だし、12歳の女の子ひとりがでかい大人どもをぶっ倒していくさまは、倫理観なんかくそくらえって感じで、何度見ても、いいのよ!エンドロールで流れる爆音のMIKAに踊り出したくなったのは私だけではあるまい。ウィーアーヤーング!
AKIRA』は初めて。勘違いで頭の中に勝手な『AKIRA』像を作り出してしまっていたらしく、券を買ってパンフレットを確認するまでアニメだということすら知らず、ARATAあたりの出るドラマかなにかだと思っていました…。なんの予備知識もなしに映画館に行くのはけっこう好きなんです(上に書いてあることと矛盾するって?筋道がしっかり通った人間がすべからく魅力的なわけではないでしょ!)。
ストーリーは難解、というか、ついていくのに必死になる。よけいな情報はいっさい明かされないし、上映時間が終わったら、はい考えるのやーめた、というようなテーマじゃない。ひとことでいえばヘビーな映画だ。画面も音も、重い。そう。音が重いの。映画館の暗闇が音で満たされる感じ。重低音が鳴り響くたびに、座席や指先に振動が伝わる。ブラひもまで揺れるの(胸は揺れないけど)。圧倒。映像もアニメならでは、とはいえ、アニメでここまでできるのかい、というくらいかっこいい。画面にちらりと中央線ネタが入るのもよい(やはり大友克洋は吉祥寺のひとみたい。アトレの広告を描いていたし!)。エンドロールのあと、自然に客席から拍手が湧いた。ほどなくして扉が開いて、明かりがさす。「本日はありがとうございました」というスタッフの声が、なんだか心地良かった。
レイトショーだったから、外に出たら空気がひんやりしていて、静かで、暗かった。駅とは反対方面に向かう道を、自転車を漕いで帰った。さっきまで見ていた東京は、轟音をたてて崩れていた。いつも通る住宅街は、地面に足をつけないで通っているせいか、うその世界みたいだった。ふわふわ。
また50回くらい同じことをしたいなあ。同じ映画を同じスクリーンで同じ爆音で見たい。でもたぶん、現実には不可能だろう。またあるかわからないもの。小沢健二のコンサートに行ったときも、そんなことをぼんやり考えて帰った。なんだかんだ私は「取り返しのつかないできごと」がすごく好きだ。いつあるかわからない次回を楽しみに、爆音で見たアクションシーンを思い出して、きょうもあしたも元気に生きていける気がするじゃない!
爆音映画祭、8日まで、吉祥寺のバウスシアターにて開催。可処分所得と可処分時間のあるみなさまは、ぜひ!

変態被害者の会

1989年11月生まれ、というと、誕生日が壁崩壊の前か後かでちょっとだけ話が盛り上がることがある。私は17日の午前8時過ぎに生まれた。ベルリンの波を受けて、プラハでも革命が起きた日だ。時差があるから、革命前夜、といったところだろう。
1999年11月17日の朝、私はいつものように小学校への道を歩いていた。始業時間が8時20分くらいだったので、いつも8時に家を出る。となると、登校している途中で、誕生時間を迎えることになる。
「そろそろ、ちょうど10歳になるかな」と思ったあたりで、道沿いの空き地からとつぜん「すみません」と声をかけられた。その空き地に人がいるのを見たことがなかっただけに、声の主である中年男性の姿は唐突に映った。彼は、フィルムケースを手にしていた。当時はまだフィルムカメラが主流だったのだ。空のフィルムケースは小さいものを入れるのに都合がよい。私はビービー弾を拾っては詰め、机の奥にしまっていた。
男が二言目に放ったせりふに、私は背筋を凍らせることになる。
「研究をしているのでつばをくれませんか」
ふたを開けたフィルムケースを差し出して、はっきりと彼は言った。
男の脇に停められている銀色の自転車の前輪には、白の筆で名前らしきものが書かれていた。これを目に焼き付けよう。
「急いでいるのですみません」と断りながら、視界の端には神経を集中させる。おぼえた。
男は「あ、そうですか」と食い下がるふうもなかったため、小学校に足を向けようと思った。体の向きを変えようとしたとき、自分が無意識のうちに手を胸の前で合わせていたことに気がついた。
帰りの会で担任にそれを告げようとしたとき、私はすでに男の名前を忘れてしまっていた。

数人でおしゃべりしていると、たまに、今までに出会った変態自慢大会が開かれる。それぞれ、きっと遭遇当時はショッキングだったのだろうけれど、個人内での昇華を経て語られる話は、ただただおもしろい。私のこの経験も、何度も酒の肴にされてきた。ちょっとアブノーマルな変態の話は場を和ませるし、話題がなくなったときに役立つ。

10日ほど前の産経新聞に、こんな記事が載った。

女児から唾液収集 「つばくれおじさん」逮捕 200人分のテープや容器を押収
2011.6.14 15:47
 女児に路上で声をかけ、つばを出させて動画撮影したなどとして、警視庁生活安全総務課の「子ども・女性安全対策室」(愛称・さくらポリス)などは東京都迷惑防止条例違反(常習卑わい行為)の疑いで、東京都東久留米市前沢、無職、水野稔彦容疑者(55)を逮捕した。
 同室によると、水野容疑者は「女の子を自分のものにしたかったが、連れて行けないので、分身として唾液を持ち帰った。17年間で4千人に声をかけた」と供述しているという。
 逮捕容疑は、昨年10月9日、小金井市のマンションの駐輪場で、当時小学5年生で10歳だった女児に、「つばの研究をしているから、つばをくれないか」などと声をかけ、フィルムケースにつばを吐き出させ、ビデオカメラで撮影したなどとしている。
 同室によると、同じような被害は埼玉県でも確認されており、インターネット上では、「つばくれおじさん」として、警戒されていた。
 同室は水野容疑者の自宅などから9、10歳を中心とした女児約200人分の口の中やつばを出す姿を映したビデオテープやフィルムケースを押収した。
(出典:http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110614/crm11061415470031-n1.htm

完全にこいつだ…。対象も手口も時期も、なにもかも一致している。名前は残念ながら思い出せないけれど、私が見た文字は「水野」だったのかもしれない。
まさか、私の人生を少しだけ狂わせた人間が逮捕されて、全国でニュースになるとは。少しなつかしさに似た、変な気分が内臓のあたりをぐるぐるした。
男が声をかけた女児は4000人だという。私もそのうちのひとりだ。さいきん逮捕されたということは、現役女児もおおぜい含まれることだろう。しかし相当数の元女児が、10年以上も昔にこの変態から身を震わせて逃げたか、もしくは屈してつばをフィルムケースに吐いたはずだ。数百人はほぼ同年代で、きっと変態自慢大会でこの話をしてグランプリを獲ってきたに違いないのである。
被害者みんなで女子会したいなあ。