僕らがバイトをやめる理由

「ザ・インタビューズ」というサイトに登録しています。いろいろ質問していただいてとっても楽しいのですが、こういう質問がきたらもっと楽しいだろうな、と感じることも多々あります。
で、もしも「数多くのアルバイトをしてきたとのことですが、内容とやめた(ってか長続きしない)理由を教えてください」という質問がきたらよろこんで答えちゃうよ。と思ってふざけて書いていたものをブログに載せてみようと思います。

私がしてきたアルバイトは11〜12個です。いま続けているひとつを除き、すべてやめました。それではひとつひとつ説明していきますよ。読み返したらクズっぽくておもしろいです。

1. チェーンのドーナツ店(行列のできるほう。接客)…半年(大1の春)
記念すべき初バイトです(高校が禁止だったし、そもそもしようなどという発想がなかった)。レジを打ったりドリンクを作ったり(あまり知られていないけれど、あのお店はかなり飲み物にこだわっていて、地味にスタバの主要メニューあたりに準ずるものはだいたい押さえていますよ)、お客さんの要望をきいてドーナツを袋に詰めたりしていました。
朝7時から7時間はたらいて、大学に行くのがふつうにあたりまえでした。それも週4回くらいで。
やめた理由は、女性社員(アルバイトからの叩き上げ)との折り合いが悪くなったことと、(それとは関係なしに)体調を崩して血尿が出たから。前者については、まあよくいますよね。「学歴の高い子ほど仕事ができない」と思い込んでいる人。まあ私ひとりがいじめられていたわけではなく、MARCHより上あたりの女子大生はよく文句をいわれました。始めて受けた学歴逆差別です。
店員が100人くらいいたので、微妙に低学歴(かつ仕事ができることになっている)のかたがたが高学歴(かつ仕事ができないことになっている)のかたがたの悪口を言ったりしてなんとなく派閥に分かれていく感じもつらく、血尿も出たことだし立ち仕事はやめようかな、と思ってやめました。

2. パスタやさん(接客)…数ヶ月(大1の夏)
ふつうにオーナーがフライパンを振るうお店でした。地元ではそこそこ有名な、行列の出来る(またかよ)お店でした。前記のドーナツ屋をやめようと思い、こっそりかけもちで始めました。夜のホールスタッフです。
従業員はみんないい人で、まかないもめちゃくちゃおいしかったんですけど、休憩時間がないのと残業代がつかないのがつらすぎて、かつ、血尿が出たので、これは体力的に私には厳しい仕事だったんじゃなかろうかと思って、使い物になるまえにやめてしまいました。申し訳なかったです。
よく食べログでその店の評価を読んではにやにやしていました。「店員さんがみんなイケメン&かわいい」という口コミを数件みつけて本当ににやにやしていました。たぶん私じゃねえ。

3. ウェブ系の会社(事務)…数ヶ月(大1の秋〜冬)
社長ひとりのベンチャー企業でした。あとは学生アルバイトが数人。面接の待ち合わせは恵比寿駅の改札で、アトレの中にある千疋屋フルーツパーラーでパフェをごちそうになりながら採用を言い渡されました。そのうえ「帰りの交通費ね」といって1000円いただきました。おいしかった。
最初はデータ入力をしていましたが、そのうち経営会議なんかにも参加させられ、販促のチラシや冊子を作ったりしました。ほかのアルバイトは飛び込み営業に行かされていました。
社長はことあるごとに「マーケティング」という単語を使うと同時に自分が前にいた会社(世界中の人が知っている日系の大企業)でどれだけすごいことをしたかお話ししてくださり、結局私たちアルバイトは何をすればいいのかよくわからない、というなんだか適当な会社でした。アルバイト全員に社長から連絡が来なくなり、事実上みんなクビ。でもそこで知り合った大学の先輩ととっても仲良くなったし、なんだかんだお給料もよかったので、それなりに良い経験でした。

4. 不動産管理会社(事務)…1年(大2)
お金持ちに「銀行に預けるよりも利回りがいいですよ」と賃貸ワンルームマンションを売る、やくざな商売をする会社(そんないい話が世の中に転がっているわけもなく、利回りがいいぶん管理が大変だし、空き部屋になることも多々ある)。
不動産会社(アパマンとか)には間取り図を作って送る・内見の斡旋をするなど、空き部屋を埋めるために働きかけを行い、マンションの住人には「エアコンが壊れました」みたいな連絡に対応したりしていました。その他、会社をまわすためのもろもろ(コピー、掃除、お茶くみなど)をしたり、男性社員のセクハラを受けたり(つばのにおいをかがされる、「お前○○(べつの男性社員)のことを思ってまいにち自慰してるだろ」といわれる、など)、いわゆる古い体質の会社で女の子のする役回りをだいたいしていました。
私がいちばん得意だったのは、家賃を払わない入居者との対決でした。1000件くらいの物件を管理していたのでいちいち出向くこともできず、ほとんど電話対応をしていました。ほとんどの家賃滞納者は、一本電話を入れれば「あ、すみません忘れてました」と振り込んでくれます。しかし、それでも家賃を払わない(そして歌舞伎町あたりの物件に住んでいる)入居者は、いわゆるDQNである可能性が非常に高い。すると電話には出ない、職場(たいてい風俗のボーイだったりする)に電話しても不在、保証人欄に書かれている実家に連絡すると、「息子とはもう何年も連絡を取っていなくて…私は目が見えないしお父さんは腰が悪くて働いていないし、家賃を払うのはきついですねえ…。ダメな息子でごめんなさいね」とか言われてしまい、なにもいえなくなってしまいます。
そういうわけで、本人にがんばって連絡をとり、家賃をオーナーの口座に振り込んでいただくしかない(今後のためにも)わけですが、私は家賃滞納者からどれだけ電話口で脅されても、罵声を浴びせられても、悪態をつかれても、まったく動じずに会話をすることができました。いくらわめかれても、こちらが悪いことをしているわけではないので、なんとも思わなかったのです。お願いしたいのは「家賃を払ってください」ということだけなので会話もらくだし、私としてはらくな仕事でした(じっさい、何ヶ月ぶんも滞納している人に計画を立てさせて実行させたり、実は滞納者に逮捕経験があることを発見したり、それでも家賃は回収したり、実績もあげていました)。
やめた理由はたくさんあります。
ひとつに、社長(×5、50代、中卒)から個人的に食事や映画に誘われるようになったことがあります。そのうち愛人契約(月イチで30万円)に発展するそうで、そういうのはめんどうだなあと思いました。つぎに、社長の独断で、とても仕事ができて、人間としても尊敬している社員のかたがいきなりクビになったこと(その後彼女は、とってもすてきな会社にすぐ就職が決まり、いまも楽しく働いていらっしゃいます。よかった!)。つぎに、1年間続けて、もう学ぶことはないな、と感じてしまったこと。
さいごに、社員がクビになったことで、本来アルバイトがすべきでない仕事(入居希望者がしっかり家賃を払える人間か審査することや、数百万円の契約者を作ること)がアルバイトに回されるようになったこと。週に2日しか来ないアルバイトの分際で、オーナーさんが数百万も投資しているマンションに対して、作業のようにして審査や契約を適当にこなすことはできないなあと感じ、結局社長と喧嘩するようなかたちでアルバイトをやめました。
しかしなんだかんだ長く勤めていたので、たのしい思い出もたくさんあります。なぜか昼休みを外でとらなければならないという学生泣かせのきまりがあったので、会社のある表参道のランチには、めちゃくちゃ詳しくなりました。

4. スーパーでの試食販売…1日(大3の春休み)
前職(不動産管理会社)をやめてから次の職場が見つからず、当座のお金を稼ぐために派遣で一日だけやりました。ピーマンを売るためにきんぴらの実演販売をしました。お料理を覚えられるし野菜の知識も得られるし、しかも自分の作ったものをたくさんの人が目の前で食べて「おいしい」と言ってくれるし、なかなか楽しかったです。ただ、知り合いに会ったらいやだなあと思いましたが。
いらっしゃいませ〜↑、おいしいピーマン、今夜のおかずに、あしたのお弁当に、いかがですか〜↑!

5. データ入力…5日間くらい(大3の春)
これも短期で。日本中のショッピングモールを調べ、地図をWordかなにかに貼り続ける…という作業を延々おこないました。
仕事自体はまあよいとして、その会社にいた学生アルバイトのかたが、2年生のときに「1女ですう」とウソをついて新歓コンパに参加したサークルの先輩で、数日間向かい合って作業をするのが本気でつらかった。その先輩には「もこもこなおこ」というあだ名までつけていただき、その場では仲良くなっただけに。もうしません。

6. 採点…2ヶ月くらい(大3の春)
またもや短期。全国的な学力テストの採点(国語)をしました。数十人が静かな部屋でパソコンに向かい合う、というとても孤独な仕事で、いつも会うイケメンの人を拝むのだけが楽しみで、チンパンジーでもできるような単純作業をするのがただひたすらきつかったです。たまに珍回答を見つけるのはたのしかったかな。
おそらく数百人が働いていたのですが、高校の同期にばったり会ったのにはおどろきました。また、2chのアルバイト板に専用スレがあり、いつも読んでいました。少し特徴的な顔立ちをし、ベロアのスーツの下にはぴちぴちのズボンをブーツインさせている男性に当スレで「アゴ男爵」というあだ名がつけられており、それを読んで以来彼を見るたびに笑いそうになっていました。ごめんなさい。
勤務地が日比谷だったので、よく野音のコンサートの音がきこえてきました。小沢健二スチャダラパーのライブにサプライズ出演したときもシフトに入っていたけど、さすがにわからなかったな。

7. 旅行会社(事務)…3ヶ月くらい(大3の夏)
創業者社長の会社に縁があるのか、もうこれで3社目(不動産会社も創業者社長でした)。たかだか時給1000円のアルバイトの採用に、エントリーシート、集団面接、試用期間があってびっくりしました。不景気だったんですかね。20倍という倍率をぶじくぐり抜けて採用されました。
友達からは「旅行会社でアルバイトしてるの!?楽しそう!」と言われまくりましたが、そんなに楽しいわけではありません。個人旅行(というかハネムーンが主)の手配をしており、来るお客さんに資料やお茶をお出ししたり、日程表を作ったり、海外のホテルや航空会社とやりとりしたりと、ふつうの事務作業をしていました。
きつかったのが、それぞれのお客さん(だいたい40〜50組くらい進行中の案件がある)のデータをすべて紙で管理しており、問い合わせがくるたびにファイルの山(適当に積んである)をばさばさやって、答えられるようにしなければならなかったこと。効率化できないものかといつも思っていました。あとは社長のメールを代筆するのに、社長の字が汚すぎてほんとうに読めない。しかし社長に読み方を聞きに行くと叱られる…という意味不明な制度もきつかったです。
しかし、それがやめた原因ではありません。私が不満だったのは以下のみっつです。
まず、夏でもクーラーを使ってはいけなかったこと。意味がわかりません。めちゃくちゃ汗をかきながら仕事をしていたため、肌が荒れに荒れました。
つぎに、労働環境がかなりブラックだったこと。22時までだとシフトを入れても「ミーティング」という名の社長がぶち切れる時間が22時から1時間ほどあり、そのあいだは仕事が止まる。ちなみに社員が怒られているだけなので、アルバイトはとくに参加しなくてもよいんじゃないかな、とみんな感じていました。で、終わったあとからおおいそぎで仕事を片付けるので、終電ぎりぎり(もしくは徹夜)。日曜日はお客さんがひっきりなしに来るので、何時間働いても休憩をとってはいけない。つらいとかではなく、ここまで華麗に労基法を無視する会社もあるのだなあと、逆に感心するくらいでした。
最後に、飲み会の誘いを断ったら管理部のおじさんから「会社の飲み会を欠席するなんてよほどのことでないかぎり社会人ではありませんよね」などとねちねち文句をいわれ、べつに私はアルバイトが本業じゃないしなあ(そして旅行会社だからといってなにかいいことがあるわけでもないしなあ)、と思って、やめました。
ただ、社長はすごく人を見る力があり、仕事のできる人で、けっこう尊敬していました。よくお昼をいっしょにとりながら、私の将来について、いろいろな話を聞いてくれました。社長とはもういちど会いたいです。

そのほかには、家庭教師の助っ人や日雇いで販売のアルバイトをしましたが、保護者が勤務時間外に宿題を送ってきて、お答えしてもまったく報酬をいただけなかったことくらいしか変わったことはありませんでした(ふざけんな)。あ、あと悪名高き「泥酔おもらし女子」のサイトにコラムを載せていただいたことが数回あります(震災後連絡がとれなくなった…)。
それに加えて、いま化粧品会社での事務と、どこかの商業施設で専属ライター(あまりに取材できる時間がないので契約更新を機にやめようかと思っている)をしています。化粧品会社のほうは、関わっているプロジェクトがあるので、卒業まで続けようと思っています。

以上です。アルバイト歴の豊富さはおそらくなんの自慢にもなりません(根気がないことの証、ともいえるでしょう)。でも、学生アルバイトは気楽な身分。正社員とちがって簡単に始めたりやめたりできます(まあ、あまりいいことじゃないけど)。創業者社長の会社を(インターン含めると)5つも近くで見ることができたのは、ラッキーだったなあ、と思います。ほんとうは静かな喫茶店とかでアルバイトしてみたいんだけどね。今からでも雇ってくれないかなあ。