『アラサーちゃん』よみました。

女の子って難しいなあと思う。
やっぱり女の子どうしでしか共有できない悩みごとはある。だから「女子会」などが開かれるのだろう。とはいえ、その悩みごとをぜんぶ他の女の子と共有していいかというと、ちょっと別の話だったりする。なぜなら、その「女の子どうしでしかわからない悩みごと」とは、端的に「男の子のこと」だから。
「肉体関係のある男性から告白されて困っている。好きなんだけど付き合いたいとは思えない」
そう、目の前にいる女の子から打ち明けられたとする。非常にどうでもいいでしょ。しかもモテる自慢ですか、勝手にしてくれよ。そう思うよね。しかも、相手の男が自分の知り合いだったりすると、「わざわざ言ってくれるなよ」という気分にもなる。
でも本人はけっこう真剣に悩んでいる。で、答えがほしいわけではないにせよ、この気分をわかってほしがっている。ほんとうに彼のことは人間として好きで、話していて楽しいし、得るものがある。誘われればやっちゃう。でも、「彼氏/彼女」なんてめんどうな関係になりたくない。今のままで充分楽しいのだからいいのに。男の子って独占欲が強いのかなあ。もう今までみたいに付き合えないじゃん。みたいな、「女の子どうしの連帯感」がほしいだけなのだ。
ね、親しい男の子にはこんなこと話してもわからないでしょ。そもそも「親しい男の子」がその彼なんだから、もうこういう話ができないわけ(そもそも男の子に話してもわかってもらえないだろう。「思わせぶりなことするお前が悪い」だのなんだの言われて)。
女が男に、男が女に恋する世界では、みなわかりあえそうでわかりあえない。みんな、同じ土俵に立っているのに分断されている(女が女にとか、男が男にとかは、経験したことがないのでわからない。あんまり変わらなさそうだけど)。
以前ツイッターにこういうことを書いた。

女子が一度やった相手のことを本気で好きになっちゃう現象、思春期での性生活教育の貧困さから「りぼん」系の少女漫画が恋愛のお手本として機能して、恋愛の究極型としてその先に結婚が想定されたセックスこそ女子の本懐なんですよっていう貞操観念が刷り込まれちゃうのが原因のひとつじゃなかろうか

たぶん漫画には、そういう作用がある。誰も教えてくれない、実際の対人関係に対する処方箋のような。ただ、一定年齢(や経験)を超えた女の子向け漫画の機能は、教化ではなく、強い共感やカタルシスをもたらすことに移るんじゃないだろうか。なんの演技も打算もなく、「わかる〜!」と言える相手として、漫画が女の子の人生にかかわることは、けっこう多い気がする。
前置きが長くなりました。
アラサーちゃん』(峰なゆか 著/メディアファクトリー)を読んだ。で、まさに、「わかる〜!」と叫びたくなった。

アラサーちゃん (ダ・ヴィンチブックス)

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Amazonの商品説明をひっぱってみる。

「モテるって難しい!!」
女子の生態、男子への本音を鋭く、赤裸々に描いたブログ発人気4コママンガがついに単行本化!
女子にも男子にもモテモテのアラサーちゃんの悩みは、モテたくない男からモテたり、モテたい男からモテなかったり、水面下で勃発する女友達同士のいざこざに巻き込まれること。モテ女をキープするため、日々努力を怠らないアラサーちゃんアラサーちゃんが目指すモテ道は長く険しいのだ!モテたい全ての人に捧げるエロカワ漫画登場!

とのことです。
これだけ読むと「モテ」に特化した漫画に見えなくもないが、そういうわけではない。
筆者の峰なゆかさんがブログにちょこちょこ描いていた4コマ漫画(http://d.hatena.ne.jp/nayukamine/)がもとになっているので、こちらをご覧いただくのが手っ取り早い気がする。「モテ」というか、もっと男女関係のめんどくさくて難しいところ(上に書いた話のような。いわば『モテキ』のネクストステージだろう)をすごく生々しく、上手に描いていると思う。おもしろい!
とくにぐっときたのが、「ゆるふわちゃん」とアラサーちゃんの、愛憎入り交じる関係。「ゆるふわちゃん」というのはその名の通りゆるふわ、女の子らしくて可愛らしいものが好きな女子で、アラサーちゃんと同じくらい(かちょっと少ないくらいかな)モテる。でも、「女らしくてやらせてくれそうな感じ」でモテるアラサーちゃんと、「女の子らしくてかわいい感じ」でモテるゆるふわちゃんは、ちょっと違うんだよね。それがふたりのあいだで、微妙な軋轢になっている。
でも、なにより「そこそこモテる女」としてのふたりの紐帯みたいなものがいいと思った。男(とそれに付随するもの)のめんどくささ、でも恋愛対象はそのめんどくさい男以外にはいない。そういう解消されえないジレンマを、ふたりで分け合っているのが美しくていい!
この漫画を読んだら、「わかる〜!」と、けっこうな数の女の子は思うだろう。でも現実の女の子どうしで「わかる〜!」と言い合いづらいのは、これまで書いてきたとおりだ。
男性同士の紐帯のことを「ホモソーシャル」という。ミソジニー(女性嫌い)とホモフォビア(同性愛嫌い)が彼らの結びつきのもとだとフェミニストは言う。つまり、女性の「ホモソーシャル」はないのだ。男から「選ばれる」立場にいると、女どうしのあいだに優劣がつけられる。だから、フラットな紐帯はありえない。そう説明されることが多いし、それはここに書いたようなことと遠い話でもないと思う。
アラサーちゃん』を読むと、読んでいる自分と登場人物たちとのあいだに、擬似ホモソーシャル、みたいな感覚を味わうことができる。すなわち、女の子どうしの一体感。しかも、『アラサーちゃん』の内部でも、その擬似ホモソーシャルが繰り広げられている。で、それを見て、いいなあ、とつぶやく。
共感を求め、「あるあるネタ」に反応するつもりで買ったのに、もっと深い、女の業みたいなものを感じることとなってしまった。
そんなわけで、『アラサーちゃん』、おすすめです。感想を大勢で語り合って、帰り道にひとり反省会をしたいです。