ブログ移転してます

すでに一年前の話で完全に書いたつもりでいて、今さらどれくらいのかたがご覧になっているのかつかみかねるところですが、ブログを移転したのでお知らせです!

お日記
http://d.hatena.ne.jp/nchyma/

南相馬に遊びに行った話とか、街コンで勝者になれる方法とか、最近はじめた一人暮らしとかレシピとかについて書いています。ぜひごひいきにしてください!

『アラサーちゃん』よみました。

女の子って難しいなあと思う。
やっぱり女の子どうしでしか共有できない悩みごとはある。だから「女子会」などが開かれるのだろう。とはいえ、その悩みごとをぜんぶ他の女の子と共有していいかというと、ちょっと別の話だったりする。なぜなら、その「女の子どうしでしかわからない悩みごと」とは、端的に「男の子のこと」だから。
「肉体関係のある男性から告白されて困っている。好きなんだけど付き合いたいとは思えない」
そう、目の前にいる女の子から打ち明けられたとする。非常にどうでもいいでしょ。しかもモテる自慢ですか、勝手にしてくれよ。そう思うよね。しかも、相手の男が自分の知り合いだったりすると、「わざわざ言ってくれるなよ」という気分にもなる。
でも本人はけっこう真剣に悩んでいる。で、答えがほしいわけではないにせよ、この気分をわかってほしがっている。ほんとうに彼のことは人間として好きで、話していて楽しいし、得るものがある。誘われればやっちゃう。でも、「彼氏/彼女」なんてめんどうな関係になりたくない。今のままで充分楽しいのだからいいのに。男の子って独占欲が強いのかなあ。もう今までみたいに付き合えないじゃん。みたいな、「女の子どうしの連帯感」がほしいだけなのだ。
ね、親しい男の子にはこんなこと話してもわからないでしょ。そもそも「親しい男の子」がその彼なんだから、もうこういう話ができないわけ(そもそも男の子に話してもわかってもらえないだろう。「思わせぶりなことするお前が悪い」だのなんだの言われて)。
女が男に、男が女に恋する世界では、みなわかりあえそうでわかりあえない。みんな、同じ土俵に立っているのに分断されている(女が女にとか、男が男にとかは、経験したことがないのでわからない。あんまり変わらなさそうだけど)。
以前ツイッターにこういうことを書いた。

女子が一度やった相手のことを本気で好きになっちゃう現象、思春期での性生活教育の貧困さから「りぼん」系の少女漫画が恋愛のお手本として機能して、恋愛の究極型としてその先に結婚が想定されたセックスこそ女子の本懐なんですよっていう貞操観念が刷り込まれちゃうのが原因のひとつじゃなかろうか

たぶん漫画には、そういう作用がある。誰も教えてくれない、実際の対人関係に対する処方箋のような。ただ、一定年齢(や経験)を超えた女の子向け漫画の機能は、教化ではなく、強い共感やカタルシスをもたらすことに移るんじゃないだろうか。なんの演技も打算もなく、「わかる〜!」と言える相手として、漫画が女の子の人生にかかわることは、けっこう多い気がする。
前置きが長くなりました。
アラサーちゃん』(峰なゆか 著/メディアファクトリー)を読んだ。で、まさに、「わかる〜!」と叫びたくなった。

アラサーちゃん (ダ・ヴィンチブックス)

アラサーちゃん (ダ・ヴィンチブックス)

Amazonの商品説明をひっぱってみる。

「モテるって難しい!!」
女子の生態、男子への本音を鋭く、赤裸々に描いたブログ発人気4コママンガがついに単行本化!
女子にも男子にもモテモテのアラサーちゃんの悩みは、モテたくない男からモテたり、モテたい男からモテなかったり、水面下で勃発する女友達同士のいざこざに巻き込まれること。モテ女をキープするため、日々努力を怠らないアラサーちゃんアラサーちゃんが目指すモテ道は長く険しいのだ!モテたい全ての人に捧げるエロカワ漫画登場!

とのことです。
これだけ読むと「モテ」に特化した漫画に見えなくもないが、そういうわけではない。
筆者の峰なゆかさんがブログにちょこちょこ描いていた4コマ漫画(http://d.hatena.ne.jp/nayukamine/)がもとになっているので、こちらをご覧いただくのが手っ取り早い気がする。「モテ」というか、もっと男女関係のめんどくさくて難しいところ(上に書いた話のような。いわば『モテキ』のネクストステージだろう)をすごく生々しく、上手に描いていると思う。おもしろい!
とくにぐっときたのが、「ゆるふわちゃん」とアラサーちゃんの、愛憎入り交じる関係。「ゆるふわちゃん」というのはその名の通りゆるふわ、女の子らしくて可愛らしいものが好きな女子で、アラサーちゃんと同じくらい(かちょっと少ないくらいかな)モテる。でも、「女らしくてやらせてくれそうな感じ」でモテるアラサーちゃんと、「女の子らしくてかわいい感じ」でモテるゆるふわちゃんは、ちょっと違うんだよね。それがふたりのあいだで、微妙な軋轢になっている。
でも、なにより「そこそこモテる女」としてのふたりの紐帯みたいなものがいいと思った。男(とそれに付随するもの)のめんどくささ、でも恋愛対象はそのめんどくさい男以外にはいない。そういう解消されえないジレンマを、ふたりで分け合っているのが美しくていい!
この漫画を読んだら、「わかる〜!」と、けっこうな数の女の子は思うだろう。でも現実の女の子どうしで「わかる〜!」と言い合いづらいのは、これまで書いてきたとおりだ。
男性同士の紐帯のことを「ホモソーシャル」という。ミソジニー(女性嫌い)とホモフォビア(同性愛嫌い)が彼らの結びつきのもとだとフェミニストは言う。つまり、女性の「ホモソーシャル」はないのだ。男から「選ばれる」立場にいると、女どうしのあいだに優劣がつけられる。だから、フラットな紐帯はありえない。そう説明されることが多いし、それはここに書いたようなことと遠い話でもないと思う。
アラサーちゃん』を読むと、読んでいる自分と登場人物たちとのあいだに、擬似ホモソーシャル、みたいな感覚を味わうことができる。すなわち、女の子どうしの一体感。しかも、『アラサーちゃん』の内部でも、その擬似ホモソーシャルが繰り広げられている。で、それを見て、いいなあ、とつぶやく。
共感を求め、「あるあるネタ」に反応するつもりで買ったのに、もっと深い、女の業みたいなものを感じることとなってしまった。
そんなわけで、『アラサーちゃん』、おすすめです。感想を大勢で語り合って、帰り道にひとり反省会をしたいです。

21歳のあいだに変わったこと

一昨日、22歳になりました。
私にとって、「21歳」は特別な年だった。敬愛するミュージシャンの小沢健二は、その歳でバンド(フリッパーズ・ギター)を結成した。作家のブローティガンは、故郷をあとにして、もう二度と戻らなかった。私も21歳のうちになにかやろうと意味もなく焦って、結局、「なにかでっかいこと」をするだけの衝動や必然性がいまの自分にはないんじゃないかと思った。
この一年で明らかに成長した部分もあれば、まだまだダメで直さなきゃいけないところもある。いちばん成長したと思うのは、「成長」がなんなのか、わかったこと。何をもって「成長」とするのかわからなかったけれど、いまは明確に、「あらゆる意味での自立」という大前提のもと、そこへ向かっていけるように自分を変えることだ、と思う。
ようするに、自分の生きる軸が自分だけじゃなくなったのかもしれない。「自立」とかいっても、自給自足したいわけじゃない。「自立」とは、「生きるための糧をすべて自分でまかなうこと」ではなく、「生きるための糧をまかなう手段を自分で持つこと」だと思う。そこにはかならず他者がいるんだよね。私はそういう世界で生きていきたい。「社会人様ってすごいですね」じゃなくて、ただ、この世界で自力で生きてみて、なにかものを語れるようになりたい。それだけ。
かつては内的衝動みたいなものからひとり突っ走るようながんばりかたをしていた。そこから遠ざかっていることを、強く感じる。そういうふうにして学生時代が終わっていくのは、ちょっと寂しくもある。この21年間ずっと持ってきた、「ほんとう」とか「ほんもの」への志向は、なくしたくないと思う。

うちから大学まではだいたい13kmある。といっても運転する人じゃないとわからないと思うが、東西線でいうと吉祥寺〜早稲田間の定期券が要る。もちろんそういう距離じゃないんだけど、自転車通学をはじめて、もう4度目の冬が来た。
秋が深まって日が落ちるのが早くなると、いつもあのマンションのあの部屋に、ちょっとしたあかりが灯る。そんなこといつも忘れてるもんだから、視界に入ったときにはっとして、あたたかい気持ちになる。
そのあかりが、今年はみえなくなった。
賃貸マンションの契約期間は2年だから、住人が引っ越したのかもしれない。節電モードに乗っかっているのかもしれない。帰宅が遅くなったのかもしれない。電気代をけちるようになったのかもしれない。

時間や制度が状況を強制的に変えてしまうこともあれば、それ以外の要因が自発的になにかを変えてしまうこともある。そこに良い/悪いの価値判断はなくて、あるのはただ「状況が変わった」という事実だけだ。

たぶん私はこの一年で変わった。ひとことでいえば「社会化」された。というか、大学を卒業してから働いてお金を得るモチベーションを確実に得た。つまんないかな。人とのつきあいかたも変わった。「言われたことをそのまま受け取る」んじゃなくて、「相手がなぜいま私にこんなことを言ったのか」を考えながら、目の前にいる人に向き合うことが多くなった。まっすぐじゃないかな。
ピュアネスとか、それにくっついてくる向こう見ずさやラディカルさが、すり減ったのかもしれない。
ただ、私はそれをよろこばしい変化だと受け取っている。ピュアさがどれだけ、気安く生きることの邪魔をしたか。反発しなくてすむなら、就活にも反発なんかしないで、自分の力をもっともっと試してみたかった。いま、紆余曲折経て、すっと受け入れられることが増えて、それはすなおにうれしいことだと思う。この世界で現実的に生きて、誰かの人生とかかわることを欲しているから。そういう気持ち(や、大学を卒業しなければならないという揺るぎない現実)があって、たぶん私は「社会化」される向きに変わったんだろうな。

いまになって、人生に完成形とかゴールがないことを強く感じる。ひとつ夢があったとして、それが叶った瞬間だって、違う位相にある夢はまだまだ、なんてこといくらでもある。
気づくのにずいぶん時間がかかったけど、あたらしくスタートラインを引いた気分だ。また一年、時間の流れに棹ささず、流されず、生きていきます。

「就活」なんかしたくない、クリエイティブな仕事をしたい大学生のための、就職活動論

ツイッターに書いたらちょっと反響が大きかったので、もうすこし大学生の就職活動について書きます。

いわゆるクリエイティブとかいわれる仕事に就きたい大学生は、まあだいたい就活というものに懐疑的である。私もそうだった。髪を真っ黒に染めて、自分をスーツに押し込めて、何枚もエントリーシートを書いて、面接に行って、べつにこの会社じゃないとやりたいことなんてないし、もうなんなんだよ。と思った。そんなことしないと働けないわけ?そもそもそういう職種って、就職口が少なすぎるし。だからといっていわゆる「普通の会社」には入りたくないから、「思考停止」して就活するなんてできない。

たしかに、世の中には「就活をしない」という選択肢もある。というかあるべきだ。新卒一括採用のシステムにどうしてもむいていない人間などいくらでもいるだろう。そもそもそれしか入り口のない「社会」など取るに足らないものだ。じじつ、私は(いくつかエントリーシートを出したり面接に行ったりはしたものの)いわゆる「就活」ではない方法で、就きたい仕事をみつけることができた。本を作ったり、文章を書いたりする仕事(フリーじゃなくて)。

でも「就活しない」と「仕事をみつける努力をしない」を等号で結んではいけない。まったくちがうから、それ。そして、明らかに「就活」は仕事をみつける最短経路だ。なにせ、向こうもこっちも、ゴールが同じなのだから。

就職口をさがすということは、自分に毎月、まとまった額のお金を払ってくれる人(や組織)をさがすことだ。

何度でも強調したいが、「あなたが素敵な大人と何回か会っておもしろい子だと思われたからといってその大人が毎月あなたに何十万も払ってくれるわけではない」。そして、「『ほわほわしてたら人とつながって雇ってもらえることになりました』なんてことありえない」。あなたのその「おもしろさ」は、その素敵な大人にいますぐ何十万円かもたらすものなんでしょうか。ちがうよね。大学生のうちから収益を考えて雑誌を作ったりイベントをやったりしていたんだったら話は別だと思うけれど、どうせ本業にはできない程度のことしかしたことのない学生ふぜいを、「おもしろいから」といって個人で雇う大人はほとんどいない(たまにそういう成功譚があるが、それはほとんどおこらないことだから成功譚たりうるのだ)。

で、そのあなたの「おもしろさ」とやらを唯一評価してくれるのは、逆説的だけど、新卒一括採用をおこなっている会社なのではなかろうか。

新卒一括採用のいいところは、被採用者に伸びしろが期待されているところだと思う(そうじゃないこまった会社もあるのだろうけれど、建前上はそうだろう)。つまり、むこうは学生を「いまは会社の利益にならなくても、これから伸びていけばいいから」という気持ちで雇ってくれる。そういう体力がある企業だというだけで、それは評価に値するんじゃないだろうか(とくに出版社や映画配給会社なんかに入りたい人はわかると思うが、いいものを作っている会社が採用をしていないことなんてざらである。つまり、なにもできない新人にお金を払いながら育てる余裕なんかないってことだ)。つまり、新卒一括採用とは、まだ経験もなにもない学生を守る制度と読むことさえできる。「アウトローというのは法律に『縛られない』のではなく『守られない』のだということ」だ。「就活」は学生を、縛りながらも、守る。

新卒一括採用で入った会社で、お金を稼ぎつつ働く者としての教育を受ける、という経験を積むのは、してもよいことだと思う。「与えられた仕事をまじめにしていれば、独立しようとしたり次のステージに移ろうとしたりしたときに、かならずそれまで関わった人から声がかかる」という話を、体験談として私は何度も聞いた。それはたしかに真実である。普通の仕事を普通にすることのできる人間の、どれだけ少ないことか。アルバイトをしたことのある人はわかると思うが、人間、できるだけラクしたいものである。同じ給料だったら、仕事量は少ないほうがよい。そういうふうに、多くの人間は流れてしまう。本当は、仕事というのは、自分じゃなくてお金を払ってくれる人のほうを向いてするべきものなのに。そして、どの業界にせよ、中途採用はけっこうあるのだ(出版ばかり例に挙げて申し訳ないけれど、日曜日と月曜日の朝刊には毎週、求人情報が載っている。その他の業種についても状況はそこまで変わらないんじゃなかろうか)。

それでも就活したくなくて、卒業したら自分の好きな仕事をしたいというあなたは、それはそれでよいけれど、とても苦労することになると思います。

まず必要なのは、「留年しない」と決めること。それだけは守ったほうがよい。それと、「就職が決まっていない人とつるまない」こと。互いにとってよくない。

それからなにをすべきかは、一概にはいえないと思う。ただ、クリエイティブうんぬんに限っていうなら、「自分の作ったものをいったん市場に放り投げる」ということをしたほうがよいと思う。誰かがお金を払ってくれてはじめて、それが「趣味」ではなく「実績」になるのではなかろうか。たとえば文章で生計を立てたいのだったら、「ツイッターでフォロワーが800人いてブログのPVも一日200です」なんて人はあなた以外にいくらでもいる。死ぬほどいる。そうじゃなくて、ウェブサイトでもなんでもいいから、お金をもらってライターをすることだ。意外と募集、あるから。そして、自分の作品とか「才能」について、「金額」という客観的な基準さえ得ることができる。

アルバイトをして生活費を稼ぎ、そのほかの時間を創作活動にあてるのも、ありだとは思う。ただ、以下の理由でおすすめはできない。「いつまでに何々をやる」という区切りが非常にしづらいことと、ひとりで創作活動をしても誰も教えてくれないことと、ともすればいつまでも「創作活動」が「生業」にならずに時間だけ過ぎていくかもしれないこと。費用対効果が悪すぎる。アルバイトの職は簡単に得ることができ、それなりに働けば決まった額のお金をもらうこともできるため、ふわふわとした自己肯定感だけが残ってしまいかねない。就活もできないあなたがそこから抜け出せるんですか。

「素敵な大人にたくさん会って弟子入りさせてもらう」というのは、まあいいとは思う。でも、その弟子とやらをしているあいだは無収入になる。だから、するとしたら学生のうちにしておくべきだ。というか、そもそも弟子入りさせてくれるのか、という問題もある。「弟子」という概念のない人には、自分の思う「弟子」像をまずプレゼンしなければならない。素敵な大人に「弟子にしてください」と何人もあたるのは、そのうちなにが目的かわからなくなりそうだし、つらいよ。

しかも、弟子をやめた後どうするか(その弟子入りさせてくれた素敵な大人は、何度もいうようだが、大してなにもできないあなたにたくさん月収を出すことはできないはずである)を考えながらしなくてはいけない。アシスタント的な業務しかさせてもらっていない場合、「ご縁」なんかには期待しないほうが得策である。どうせなんの技術も身につかないから。それよりも、その人のアシスタントという立場だから見えるものがかならずあるはずで、その視点をもっていることを武器にして職を探したほうがよい。

私がどうしたのかというと、詳しくはそんなに書きたくないので聞いてほしいのだが、ライターとしてちょっとずつお金をもらえる仕事をとって、それを実績にしてほかのところにアプローチして、そこでした仕事で評価してもらって…というようなことをしていた。というかいまもしている。大学に通いながら。

つまり、「就活」しなくとも、もし(特に自分の望む方法で)経済的に自立したいのならば、かならずどこかで自分を売り込む努力はしなくてはいけない。自分に具体的な力があることを、具体的に示さなければならない。そして、「私は金になりますよ」と明確に伝えないかぎり、仕事は入ってこない。それは、場合によってはあなたの憎んでいる「就活」よりタフな道だ。だから、そんなこと後輩たちに軽々しく勧めることはできないのだ。いくらでもいうけど、「つながり」からあなたがひとり生きていくだけのお金なんか生まれないからね。お互いに実績を作ってきた人たちが作るものが「人脈」だ。

ちなみに、苦しまないでクリエイティブな活動に手を出したい人には、最後の切り札がある。つまり、親のすねをかじり続けるのがいちばん合理的な方法だ。いいよね一年くらい。あの子浪人してるし。他の子は留年だし。退学した人だっているし。

まあ、そうやってされた仕事が果たして多くの人の心を動かせるのかというと、私はそうは思わないけれども。

卒業文集を公開するので私が捕まったら週刊誌にこれを見せて下さい

私がどんな高校生だったかというと、おそらくこのブログや私のツイッター(@lee_mellon)を見て想像できるような女の子だったんじゃなかろうかと思います(本物はもっと社会性があります…)。
つまり、ひねくれていてみんなの聞かない音楽ばかり聞いていてクラスの女子とつるまないで教室のはじっこで突っ伏している女の子。今よりもっととげとげしくて他人はバカだと思っているくせに劣等感にまみれていて、ちょっとの心許せる友達と小沢健二ブローティガンだけが光だった。暗い。
二年生のとき、「文章表現」という、もと新聞記者の講師から出されたお題(「好きな本」「恋愛」「政治」とかだったと思う)について800文字書かされ、添削を受ける科目があった。とてもよく覚えているのだけれど、その最初の授業で「宿題や授業以外で毎日文章を書いている人はいますか」と先生がクラスに向かって質問した。手を挙げようとしたら、スクールカーストの最高位についている感じの男子が「そんなやついるのかよ」と笑いながら話した。
私はそのとき、日記やブログを、文章が好きとかそういうことではなく、なんとなく必然にかられているような心持ちで、毎日つけていた。高校一年生あたりからずっと。全員がそういうことをするわけではないことくらいはわかっていたけれど、そこまでおかしいことなのかと、自分と「ふつう」のズレにびびった(ちなみにその男子はとてもかっこよくていいやつでいわゆる「ボス猿」みたいなやつではなくてかっこよいふつうのやつなんです)。彼らにとって文章とは書かなきゃいけないときに書くものだった。
そのときはじめて、自分が「書くこと」について少し特別な感情を持っているらしいことを認識した。
…という前置きは良いとして、以下、今読んでもおもしろいと思うので、
・中学三年生時の修学旅行文集に書いた文章
・高校三年生時の卒業文集に書いた文章
を貼りつけておきます。
標準的な中学生がひねくれていく過程とみても、文章に対して自覚的になるってこういうことなのかも、とみても、我ながら興味深いなあと思います。完全中高一貫校だったので担任の先生方や同期の顔ぶれは変わらず、つまり読者が同じだったことを先に補足しておきます。あと個人名は適当に変えました。
私が犯罪でもおこして捕まったら、これを参考にしていただけるととても幸いです。

まず、修学旅行の紀行文。

義経に恋して」
 私が研修(注・修学旅行のこと)で行った場所の中で一番印象に残った場所は、京都の鞍馬寺だ。奈良からかなり遠かったこともあり、行ったのは私達三十二班と一番遠くへ行く班についていく係の山野先生だけだった。
 近鉄奈良駅から電車を何本も乗り継ぎ、最後に鞍馬駅で降りた時、まずは空気が違う事に驚いた。今まで行った所に比べて、気温がずっと低いし、空気が澄んでいる。それもそのはず、少し歩くと義経が少年期を過ごしたという鞍馬山がそびえていた。石段をのぼり、ケーブルカーに乗り換える。降りた場所は、私が京都にいだいていたイメージと全く違うものだった。どこまでも続いていく山道、土のにおい、などなど、私は京都でこのようなものに出会うとは思っていなかった。
 少し山道を進んでいくと、本堂に出た。ちょうど行った日が秋の大祭だったこともあり、思ったよりも人、特に外国人が多かった。
 私たちは山道を歩いて裏の魔王殿に行くことにした。それは、想像を遥かに超える辛さだった。のぼりの階段がどこまでも続く。いつしか私達は無口になっていた。途中、義経が背を比べたという石や与謝野晶子の別荘など、興味深いものがあったが、見る余裕もなかった。本当に疲れていたのだ。そんなこんなで目的地にはたどり着いたのだが、想像を絶するみすぼらしさだった。何故か千羽鶴が三つ置いてあった。そこで少し休み、空を見上げた。もう紅葉が始まっていた。これこそ「あはれ」なのだと感じた。
 帰り道はそれ以上に疲れた。途中登山客みたいな人から柿の種をもらった。山野先生がものを食べているところを初めて見たので感動した。
 そして、数々の試練を乗り越え、三十二班+山野先生は鞍馬山をおり、次の目的地へと向かった。みんなの旅は続く。

続いて、卒業文集。

共感覚者」
 振り返ると、ほとんど特筆すべきことのない六年間だった。いろいろなできごとをすべて寄せ集めた結果、なにもなかった、という記憶だけ残ったような。ずっと忘れないだろうなあ、という思い出も多少はあるが、でも日常のほとんどはぬるま湯につかっているような、たとえるなら「くまのプーさん」の舞台を一〇〇エーカーの森から教室に移動したような、牧歌的で、平和で、平凡な学校生活だった。それはそれで楽しかったし、幸せだった。それがこの六年間を総括していえることで、他に書くことはない。
 いや、そういえば、一つ特筆したいことがあった。
 奈良研修の紀行文を書いたときのこと。ひととおり書いたあと、読み返して、さいごの一文を消した。そのことが、いまでも気にかかる。生まれることなく、脳内で死んでいったその文。あってもなくても変わらないや、と思って消したのだが、ではなぜわざわざ消したのだろう。その文には悪いことをした。書いたこっちがいまでも気にしているのだ。本人はさぞ無念だったことだろう。
 そこで、卒業文集という晴れの舞台にかれをのせてやろうと思う。もちろん、さいごの一文に。これでかれの供養ができる。いやちがう、かれは永遠に存在することになる。三年越しの未練が、いま晴らされるのだ。
 その前に。
 高校を卒業して、そのあといつかは大人になる。どんな大人になりたいか、よく考える。いつもけっきょくは同じところに行き着く。本に囲まれて生きたい。本が好きだ。そしてこれからもずっと。それだけは確かなことだと思う。
 それでいつか、大人よりももっと歳をとったら、こどもや孫に蔵書をプレゼントする。ささやかだけれども、同時にすごく大きな夢だ。その日がくることをよく考える。それはこのうえなく幸せな空想だ。叶うといいなあ。
 そこにいたるまでの人生は長い。想像できないくらい長い。いろいろなことがあるだろう。でもたぶん、この六年間のように、振り返ってみれば楽しくて幸せだったといえるのではないか、勝手だけどそう思う。
 それまで人生は続く。続くったら、続く。












※ちなみに、卒業文集のほうはいちども第一人称を使わないで書いたんです。気づいた?

僕らがバイトをやめる理由

「ザ・インタビューズ」というサイトに登録しています。いろいろ質問していただいてとっても楽しいのですが、こういう質問がきたらもっと楽しいだろうな、と感じることも多々あります。
で、もしも「数多くのアルバイトをしてきたとのことですが、内容とやめた(ってか長続きしない)理由を教えてください」という質問がきたらよろこんで答えちゃうよ。と思ってふざけて書いていたものをブログに載せてみようと思います。

私がしてきたアルバイトは11〜12個です。いま続けているひとつを除き、すべてやめました。それではひとつひとつ説明していきますよ。読み返したらクズっぽくておもしろいです。

1. チェーンのドーナツ店(行列のできるほう。接客)…半年(大1の春)
記念すべき初バイトです(高校が禁止だったし、そもそもしようなどという発想がなかった)。レジを打ったりドリンクを作ったり(あまり知られていないけれど、あのお店はかなり飲み物にこだわっていて、地味にスタバの主要メニューあたりに準ずるものはだいたい押さえていますよ)、お客さんの要望をきいてドーナツを袋に詰めたりしていました。
朝7時から7時間はたらいて、大学に行くのがふつうにあたりまえでした。それも週4回くらいで。
やめた理由は、女性社員(アルバイトからの叩き上げ)との折り合いが悪くなったことと、(それとは関係なしに)体調を崩して血尿が出たから。前者については、まあよくいますよね。「学歴の高い子ほど仕事ができない」と思い込んでいる人。まあ私ひとりがいじめられていたわけではなく、MARCHより上あたりの女子大生はよく文句をいわれました。始めて受けた学歴逆差別です。
店員が100人くらいいたので、微妙に低学歴(かつ仕事ができることになっている)のかたがたが高学歴(かつ仕事ができないことになっている)のかたがたの悪口を言ったりしてなんとなく派閥に分かれていく感じもつらく、血尿も出たことだし立ち仕事はやめようかな、と思ってやめました。

2. パスタやさん(接客)…数ヶ月(大1の夏)
ふつうにオーナーがフライパンを振るうお店でした。地元ではそこそこ有名な、行列の出来る(またかよ)お店でした。前記のドーナツ屋をやめようと思い、こっそりかけもちで始めました。夜のホールスタッフです。
従業員はみんないい人で、まかないもめちゃくちゃおいしかったんですけど、休憩時間がないのと残業代がつかないのがつらすぎて、かつ、血尿が出たので、これは体力的に私には厳しい仕事だったんじゃなかろうかと思って、使い物になるまえにやめてしまいました。申し訳なかったです。
よく食べログでその店の評価を読んではにやにやしていました。「店員さんがみんなイケメン&かわいい」という口コミを数件みつけて本当ににやにやしていました。たぶん私じゃねえ。

3. ウェブ系の会社(事務)…数ヶ月(大1の秋〜冬)
社長ひとりのベンチャー企業でした。あとは学生アルバイトが数人。面接の待ち合わせは恵比寿駅の改札で、アトレの中にある千疋屋フルーツパーラーでパフェをごちそうになりながら採用を言い渡されました。そのうえ「帰りの交通費ね」といって1000円いただきました。おいしかった。
最初はデータ入力をしていましたが、そのうち経営会議なんかにも参加させられ、販促のチラシや冊子を作ったりしました。ほかのアルバイトは飛び込み営業に行かされていました。
社長はことあるごとに「マーケティング」という単語を使うと同時に自分が前にいた会社(世界中の人が知っている日系の大企業)でどれだけすごいことをしたかお話ししてくださり、結局私たちアルバイトは何をすればいいのかよくわからない、というなんだか適当な会社でした。アルバイト全員に社長から連絡が来なくなり、事実上みんなクビ。でもそこで知り合った大学の先輩ととっても仲良くなったし、なんだかんだお給料もよかったので、それなりに良い経験でした。

4. 不動産管理会社(事務)…1年(大2)
お金持ちに「銀行に預けるよりも利回りがいいですよ」と賃貸ワンルームマンションを売る、やくざな商売をする会社(そんないい話が世の中に転がっているわけもなく、利回りがいいぶん管理が大変だし、空き部屋になることも多々ある)。
不動産会社(アパマンとか)には間取り図を作って送る・内見の斡旋をするなど、空き部屋を埋めるために働きかけを行い、マンションの住人には「エアコンが壊れました」みたいな連絡に対応したりしていました。その他、会社をまわすためのもろもろ(コピー、掃除、お茶くみなど)をしたり、男性社員のセクハラを受けたり(つばのにおいをかがされる、「お前○○(べつの男性社員)のことを思ってまいにち自慰してるだろ」といわれる、など)、いわゆる古い体質の会社で女の子のする役回りをだいたいしていました。
私がいちばん得意だったのは、家賃を払わない入居者との対決でした。1000件くらいの物件を管理していたのでいちいち出向くこともできず、ほとんど電話対応をしていました。ほとんどの家賃滞納者は、一本電話を入れれば「あ、すみません忘れてました」と振り込んでくれます。しかし、それでも家賃を払わない(そして歌舞伎町あたりの物件に住んでいる)入居者は、いわゆるDQNである可能性が非常に高い。すると電話には出ない、職場(たいてい風俗のボーイだったりする)に電話しても不在、保証人欄に書かれている実家に連絡すると、「息子とはもう何年も連絡を取っていなくて…私は目が見えないしお父さんは腰が悪くて働いていないし、家賃を払うのはきついですねえ…。ダメな息子でごめんなさいね」とか言われてしまい、なにもいえなくなってしまいます。
そういうわけで、本人にがんばって連絡をとり、家賃をオーナーの口座に振り込んでいただくしかない(今後のためにも)わけですが、私は家賃滞納者からどれだけ電話口で脅されても、罵声を浴びせられても、悪態をつかれても、まったく動じずに会話をすることができました。いくらわめかれても、こちらが悪いことをしているわけではないので、なんとも思わなかったのです。お願いしたいのは「家賃を払ってください」ということだけなので会話もらくだし、私としてはらくな仕事でした(じっさい、何ヶ月ぶんも滞納している人に計画を立てさせて実行させたり、実は滞納者に逮捕経験があることを発見したり、それでも家賃は回収したり、実績もあげていました)。
やめた理由はたくさんあります。
ひとつに、社長(×5、50代、中卒)から個人的に食事や映画に誘われるようになったことがあります。そのうち愛人契約(月イチで30万円)に発展するそうで、そういうのはめんどうだなあと思いました。つぎに、社長の独断で、とても仕事ができて、人間としても尊敬している社員のかたがいきなりクビになったこと(その後彼女は、とってもすてきな会社にすぐ就職が決まり、いまも楽しく働いていらっしゃいます。よかった!)。つぎに、1年間続けて、もう学ぶことはないな、と感じてしまったこと。
さいごに、社員がクビになったことで、本来アルバイトがすべきでない仕事(入居希望者がしっかり家賃を払える人間か審査することや、数百万円の契約者を作ること)がアルバイトに回されるようになったこと。週に2日しか来ないアルバイトの分際で、オーナーさんが数百万も投資しているマンションに対して、作業のようにして審査や契約を適当にこなすことはできないなあと感じ、結局社長と喧嘩するようなかたちでアルバイトをやめました。
しかしなんだかんだ長く勤めていたので、たのしい思い出もたくさんあります。なぜか昼休みを外でとらなければならないという学生泣かせのきまりがあったので、会社のある表参道のランチには、めちゃくちゃ詳しくなりました。

4. スーパーでの試食販売…1日(大3の春休み)
前職(不動産管理会社)をやめてから次の職場が見つからず、当座のお金を稼ぐために派遣で一日だけやりました。ピーマンを売るためにきんぴらの実演販売をしました。お料理を覚えられるし野菜の知識も得られるし、しかも自分の作ったものをたくさんの人が目の前で食べて「おいしい」と言ってくれるし、なかなか楽しかったです。ただ、知り合いに会ったらいやだなあと思いましたが。
いらっしゃいませ〜↑、おいしいピーマン、今夜のおかずに、あしたのお弁当に、いかがですか〜↑!

5. データ入力…5日間くらい(大3の春)
これも短期で。日本中のショッピングモールを調べ、地図をWordかなにかに貼り続ける…という作業を延々おこないました。
仕事自体はまあよいとして、その会社にいた学生アルバイトのかたが、2年生のときに「1女ですう」とウソをついて新歓コンパに参加したサークルの先輩で、数日間向かい合って作業をするのが本気でつらかった。その先輩には「もこもこなおこ」というあだ名までつけていただき、その場では仲良くなっただけに。もうしません。

6. 採点…2ヶ月くらい(大3の春)
またもや短期。全国的な学力テストの採点(国語)をしました。数十人が静かな部屋でパソコンに向かい合う、というとても孤独な仕事で、いつも会うイケメンの人を拝むのだけが楽しみで、チンパンジーでもできるような単純作業をするのがただひたすらきつかったです。たまに珍回答を見つけるのはたのしかったかな。
おそらく数百人が働いていたのですが、高校の同期にばったり会ったのにはおどろきました。また、2chのアルバイト板に専用スレがあり、いつも読んでいました。少し特徴的な顔立ちをし、ベロアのスーツの下にはぴちぴちのズボンをブーツインさせている男性に当スレで「アゴ男爵」というあだ名がつけられており、それを読んで以来彼を見るたびに笑いそうになっていました。ごめんなさい。
勤務地が日比谷だったので、よく野音のコンサートの音がきこえてきました。小沢健二スチャダラパーのライブにサプライズ出演したときもシフトに入っていたけど、さすがにわからなかったな。

7. 旅行会社(事務)…3ヶ月くらい(大3の夏)
創業者社長の会社に縁があるのか、もうこれで3社目(不動産会社も創業者社長でした)。たかだか時給1000円のアルバイトの採用に、エントリーシート、集団面接、試用期間があってびっくりしました。不景気だったんですかね。20倍という倍率をぶじくぐり抜けて採用されました。
友達からは「旅行会社でアルバイトしてるの!?楽しそう!」と言われまくりましたが、そんなに楽しいわけではありません。個人旅行(というかハネムーンが主)の手配をしており、来るお客さんに資料やお茶をお出ししたり、日程表を作ったり、海外のホテルや航空会社とやりとりしたりと、ふつうの事務作業をしていました。
きつかったのが、それぞれのお客さん(だいたい40〜50組くらい進行中の案件がある)のデータをすべて紙で管理しており、問い合わせがくるたびにファイルの山(適当に積んである)をばさばさやって、答えられるようにしなければならなかったこと。効率化できないものかといつも思っていました。あとは社長のメールを代筆するのに、社長の字が汚すぎてほんとうに読めない。しかし社長に読み方を聞きに行くと叱られる…という意味不明な制度もきつかったです。
しかし、それがやめた原因ではありません。私が不満だったのは以下のみっつです。
まず、夏でもクーラーを使ってはいけなかったこと。意味がわかりません。めちゃくちゃ汗をかきながら仕事をしていたため、肌が荒れに荒れました。
つぎに、労働環境がかなりブラックだったこと。22時までだとシフトを入れても「ミーティング」という名の社長がぶち切れる時間が22時から1時間ほどあり、そのあいだは仕事が止まる。ちなみに社員が怒られているだけなので、アルバイトはとくに参加しなくてもよいんじゃないかな、とみんな感じていました。で、終わったあとからおおいそぎで仕事を片付けるので、終電ぎりぎり(もしくは徹夜)。日曜日はお客さんがひっきりなしに来るので、何時間働いても休憩をとってはいけない。つらいとかではなく、ここまで華麗に労基法を無視する会社もあるのだなあと、逆に感心するくらいでした。
最後に、飲み会の誘いを断ったら管理部のおじさんから「会社の飲み会を欠席するなんてよほどのことでないかぎり社会人ではありませんよね」などとねちねち文句をいわれ、べつに私はアルバイトが本業じゃないしなあ(そして旅行会社だからといってなにかいいことがあるわけでもないしなあ)、と思って、やめました。
ただ、社長はすごく人を見る力があり、仕事のできる人で、けっこう尊敬していました。よくお昼をいっしょにとりながら、私の将来について、いろいろな話を聞いてくれました。社長とはもういちど会いたいです。

そのほかには、家庭教師の助っ人や日雇いで販売のアルバイトをしましたが、保護者が勤務時間外に宿題を送ってきて、お答えしてもまったく報酬をいただけなかったことくらいしか変わったことはありませんでした(ふざけんな)。あ、あと悪名高き「泥酔おもらし女子」のサイトにコラムを載せていただいたことが数回あります(震災後連絡がとれなくなった…)。
それに加えて、いま化粧品会社での事務と、どこかの商業施設で専属ライター(あまりに取材できる時間がないので契約更新を機にやめようかと思っている)をしています。化粧品会社のほうは、関わっているプロジェクトがあるので、卒業まで続けようと思っています。

以上です。アルバイト歴の豊富さはおそらくなんの自慢にもなりません(根気がないことの証、ともいえるでしょう)。でも、学生アルバイトは気楽な身分。正社員とちがって簡単に始めたりやめたりできます(まあ、あまりいいことじゃないけど)。創業者社長の会社を(インターン含めると)5つも近くで見ることができたのは、ラッキーだったなあ、と思います。ほんとうは静かな喫茶店とかでアルバイトしてみたいんだけどね。今からでも雇ってくれないかなあ。

気持ち悪い片想いの思い出と古本市と

あるとき(そんなに遠い昔ではない)、私はものすごい片想いをしていました。なにがものすごいかというと、べつに恋愛経験ゼロだったわけでもなんでもないのに、ほとんど話したことのない人のことを本気で好きになりかけていました。
話したことがないからどんな人かあまりよく知らないし、自分からなにかしらモーションをかけようなどとは夢にも思っていなかった私ですが、さまざまなことをシミュレーションした結果、お気に入りの文房具屋に付箋とカードを買いに行くことを思いつきました。つまり、もし万が一彼が私に本やらCDやらを貸してくれることになった場合、お礼をしなくちゃいけない。かわいい女の子だと思われたいから、とびきりセンスのよいカードに「ありがとう。ここの頁がおもしろかったです。なおこ」などと書いたものを挟んでお返ししよう。かわいいカードだったら彼も捨てるには忍びないはずだ。そうしたらなんとなく彼の部屋に私の手書きの紙がずっとあるという超素敵なことになってしまう!
これを話したことも連絡を取ったこともない段階で考えていたので恋する乙女は暴走機関車ですね。私だけですか。
その後どんなことがあったかといえば、ほんとうにいきなり彼から誘われてデートすることになってアラ大変、なんてドタバタもありつつ、結局、買ったカード(20枚)を使う機会はありませんでした。
なぜこんな恥ずかしい話を書いたかといいますと、このカードを明日使おうと思っているからです。つまりここまでの文章はフリでした。
あした、千駄木でおこなわれる「一箱古本市」というイベントに参加します。(http://d.hatena.ne.jp/seishubu/
名前のとおり、いろんな人が一箱ずつ古本を持ち寄って街じゅうで一日古本屋ごっこをするような、本好きにはとてもとてもたのしいおまつりです。
私は、よくお手伝いに伺っている出版社に出入りしている学生たちで作った「しんや万象」という超内輪ネームのお店にいます。「光輪寺」というお寺が会場です。
私が出品するのはうちにある本と、あとは制作にずっと関わった雑誌である『MIRAGE』3号(http://cinemirage.hostoi.com/)も売ります。で、そいつらに、メッセージカードを挟もうかな、と思っているわけです。
恋が実らなかった無念を胸に、その本にかんする思い出なんかをちまちま書いていきますので、お近くを通りがかったらぜひのぞいてみてくださいね。
では。