「就活」なんかしたくない、クリエイティブな仕事をしたい大学生のための、就職活動論

ツイッターに書いたらちょっと反響が大きかったので、もうすこし大学生の就職活動について書きます。

いわゆるクリエイティブとかいわれる仕事に就きたい大学生は、まあだいたい就活というものに懐疑的である。私もそうだった。髪を真っ黒に染めて、自分をスーツに押し込めて、何枚もエントリーシートを書いて、面接に行って、べつにこの会社じゃないとやりたいことなんてないし、もうなんなんだよ。と思った。そんなことしないと働けないわけ?そもそもそういう職種って、就職口が少なすぎるし。だからといっていわゆる「普通の会社」には入りたくないから、「思考停止」して就活するなんてできない。

たしかに、世の中には「就活をしない」という選択肢もある。というかあるべきだ。新卒一括採用のシステムにどうしてもむいていない人間などいくらでもいるだろう。そもそもそれしか入り口のない「社会」など取るに足らないものだ。じじつ、私は(いくつかエントリーシートを出したり面接に行ったりはしたものの)いわゆる「就活」ではない方法で、就きたい仕事をみつけることができた。本を作ったり、文章を書いたりする仕事(フリーじゃなくて)。

でも「就活しない」と「仕事をみつける努力をしない」を等号で結んではいけない。まったくちがうから、それ。そして、明らかに「就活」は仕事をみつける最短経路だ。なにせ、向こうもこっちも、ゴールが同じなのだから。

就職口をさがすということは、自分に毎月、まとまった額のお金を払ってくれる人(や組織)をさがすことだ。

何度でも強調したいが、「あなたが素敵な大人と何回か会っておもしろい子だと思われたからといってその大人が毎月あなたに何十万も払ってくれるわけではない」。そして、「『ほわほわしてたら人とつながって雇ってもらえることになりました』なんてことありえない」。あなたのその「おもしろさ」は、その素敵な大人にいますぐ何十万円かもたらすものなんでしょうか。ちがうよね。大学生のうちから収益を考えて雑誌を作ったりイベントをやったりしていたんだったら話は別だと思うけれど、どうせ本業にはできない程度のことしかしたことのない学生ふぜいを、「おもしろいから」といって個人で雇う大人はほとんどいない(たまにそういう成功譚があるが、それはほとんどおこらないことだから成功譚たりうるのだ)。

で、そのあなたの「おもしろさ」とやらを唯一評価してくれるのは、逆説的だけど、新卒一括採用をおこなっている会社なのではなかろうか。

新卒一括採用のいいところは、被採用者に伸びしろが期待されているところだと思う(そうじゃないこまった会社もあるのだろうけれど、建前上はそうだろう)。つまり、むこうは学生を「いまは会社の利益にならなくても、これから伸びていけばいいから」という気持ちで雇ってくれる。そういう体力がある企業だというだけで、それは評価に値するんじゃないだろうか(とくに出版社や映画配給会社なんかに入りたい人はわかると思うが、いいものを作っている会社が採用をしていないことなんてざらである。つまり、なにもできない新人にお金を払いながら育てる余裕なんかないってことだ)。つまり、新卒一括採用とは、まだ経験もなにもない学生を守る制度と読むことさえできる。「アウトローというのは法律に『縛られない』のではなく『守られない』のだということ」だ。「就活」は学生を、縛りながらも、守る。

新卒一括採用で入った会社で、お金を稼ぎつつ働く者としての教育を受ける、という経験を積むのは、してもよいことだと思う。「与えられた仕事をまじめにしていれば、独立しようとしたり次のステージに移ろうとしたりしたときに、かならずそれまで関わった人から声がかかる」という話を、体験談として私は何度も聞いた。それはたしかに真実である。普通の仕事を普通にすることのできる人間の、どれだけ少ないことか。アルバイトをしたことのある人はわかると思うが、人間、できるだけラクしたいものである。同じ給料だったら、仕事量は少ないほうがよい。そういうふうに、多くの人間は流れてしまう。本当は、仕事というのは、自分じゃなくてお金を払ってくれる人のほうを向いてするべきものなのに。そして、どの業界にせよ、中途採用はけっこうあるのだ(出版ばかり例に挙げて申し訳ないけれど、日曜日と月曜日の朝刊には毎週、求人情報が載っている。その他の業種についても状況はそこまで変わらないんじゃなかろうか)。

それでも就活したくなくて、卒業したら自分の好きな仕事をしたいというあなたは、それはそれでよいけれど、とても苦労することになると思います。

まず必要なのは、「留年しない」と決めること。それだけは守ったほうがよい。それと、「就職が決まっていない人とつるまない」こと。互いにとってよくない。

それからなにをすべきかは、一概にはいえないと思う。ただ、クリエイティブうんぬんに限っていうなら、「自分の作ったものをいったん市場に放り投げる」ということをしたほうがよいと思う。誰かがお金を払ってくれてはじめて、それが「趣味」ではなく「実績」になるのではなかろうか。たとえば文章で生計を立てたいのだったら、「ツイッターでフォロワーが800人いてブログのPVも一日200です」なんて人はあなた以外にいくらでもいる。死ぬほどいる。そうじゃなくて、ウェブサイトでもなんでもいいから、お金をもらってライターをすることだ。意外と募集、あるから。そして、自分の作品とか「才能」について、「金額」という客観的な基準さえ得ることができる。

アルバイトをして生活費を稼ぎ、そのほかの時間を創作活動にあてるのも、ありだとは思う。ただ、以下の理由でおすすめはできない。「いつまでに何々をやる」という区切りが非常にしづらいことと、ひとりで創作活動をしても誰も教えてくれないことと、ともすればいつまでも「創作活動」が「生業」にならずに時間だけ過ぎていくかもしれないこと。費用対効果が悪すぎる。アルバイトの職は簡単に得ることができ、それなりに働けば決まった額のお金をもらうこともできるため、ふわふわとした自己肯定感だけが残ってしまいかねない。就活もできないあなたがそこから抜け出せるんですか。

「素敵な大人にたくさん会って弟子入りさせてもらう」というのは、まあいいとは思う。でも、その弟子とやらをしているあいだは無収入になる。だから、するとしたら学生のうちにしておくべきだ。というか、そもそも弟子入りさせてくれるのか、という問題もある。「弟子」という概念のない人には、自分の思う「弟子」像をまずプレゼンしなければならない。素敵な大人に「弟子にしてください」と何人もあたるのは、そのうちなにが目的かわからなくなりそうだし、つらいよ。

しかも、弟子をやめた後どうするか(その弟子入りさせてくれた素敵な大人は、何度もいうようだが、大してなにもできないあなたにたくさん月収を出すことはできないはずである)を考えながらしなくてはいけない。アシスタント的な業務しかさせてもらっていない場合、「ご縁」なんかには期待しないほうが得策である。どうせなんの技術も身につかないから。それよりも、その人のアシスタントという立場だから見えるものがかならずあるはずで、その視点をもっていることを武器にして職を探したほうがよい。

私がどうしたのかというと、詳しくはそんなに書きたくないので聞いてほしいのだが、ライターとしてちょっとずつお金をもらえる仕事をとって、それを実績にしてほかのところにアプローチして、そこでした仕事で評価してもらって…というようなことをしていた。というかいまもしている。大学に通いながら。

つまり、「就活」しなくとも、もし(特に自分の望む方法で)経済的に自立したいのならば、かならずどこかで自分を売り込む努力はしなくてはいけない。自分に具体的な力があることを、具体的に示さなければならない。そして、「私は金になりますよ」と明確に伝えないかぎり、仕事は入ってこない。それは、場合によってはあなたの憎んでいる「就活」よりタフな道だ。だから、そんなこと後輩たちに軽々しく勧めることはできないのだ。いくらでもいうけど、「つながり」からあなたがひとり生きていくだけのお金なんか生まれないからね。お互いに実績を作ってきた人たちが作るものが「人脈」だ。

ちなみに、苦しまないでクリエイティブな活動に手を出したい人には、最後の切り札がある。つまり、親のすねをかじり続けるのがいちばん合理的な方法だ。いいよね一年くらい。あの子浪人してるし。他の子は留年だし。退学した人だっているし。

まあ、そうやってされた仕事が果たして多くの人の心を動かせるのかというと、私はそうは思わないけれども。