河合隼雄上野千鶴子が共同編集した『欲望と消費 現代日本文化論8』がおもしろい!河合隼雄が編集したという時点で、もう「現代」じゃないんだけどね…。
ご存命中に彼の授業を受けたことがあるのが自慢です。朝日新聞が教育関係のシンポジウムを開いて、そのプログラムのひとつに、頭の良い子供たちが10人くらい集められて、壇上で河合隼雄谷川俊太郎の授業を受ける、というものがあったの。わたしが直接お会いした中で、社会的に一番偉大な方々なのではなかろうか。なぜわたしが生徒役に選ばれたのかは割愛しますが、才気あふれるこどもだったのですよ。
河合隼雄が算数で、谷川俊太郎が国語だった。算数のほうは、あまりおもしろくなかったかな…。いやね、3で割り切れる数の共通点を聞かれて、こどもたちが間違うのをみて、こどもはおもしろいこと考えるなあ!という流れを作ろうという感じがあったんですよ…。中学受験をしようとしているこどもだったわたしはそれを受験テクニックとして教わってしまっていたし、「こどもは頭がやわらかい」という、授業の主旨を読み取ってしまったのもすこしつらかったな。頭の良いこどもは大変なんだよ!
あのころよりもものわかりのよくなったいま、河合隼雄さんの大学生向けの授業を受けられたらよかったのに!だいたい、どれだけすごい方か知らなかったよ。でもちょっとおもしろかったのが、こないだの小沢健二のライブ、MCで、小沢健二河合隼雄とおなじことをしゃべってた…。
国語のほうはよく覚えているよ。谷川俊太郎さんと歌を歌ったの。今でも歌える…。たしかちょうど『声に出して読みたい日本語』がはやったり、「身体性」みたいなものがいわれはじめたころだったのかもしれないな、いま思うと。すべての議論を身体性に帰してしまうのは安直だと思う。「からだは全部知っている」とか「感覚的に拒絶してしまうものは悪いものだ」とか「背筋がしゃんとする服を着ないと心もへんになる」なんて、わたしは信じられない。ただ、おなかが痛いときに難しいことを考えるのは無理だとか、そういう意味でからだはすべての根源なのだろう。いやまあ、だから何というわけじゃないけど。

本の話にもどろう。
様々な立場の人が、だいたい2〜30ページでそれぞれの「欲望と消費」について書いているの。隈研吾、鷲田小弥太、森永卓郎とか、わたしでも知っているような知識人から、編集者とかジャーナリストとか院生まで。あ、隈研吾は、『新・都市論TOKYO』がとてもとてもよいからぜひみなさまに読んでほしい。東京とか、まちが好きな人ならなおさら。新書だからさらっと読めるよ!あっそれで思い出したけど、東京人の23区特集もよかったな。図書館の雑誌コーナーにあるはずだから見てみてね。
それで、『欲望と消費』の中でわたしがおもしろいなあと思ったのは、まあ全部なんですけど、特に2つあります。ひとつは援助交際の話(やっぱりちょっと古い本だけありますよね)と、もうひとつは雑誌Hanakoの話。援助交際のほうはさ、「渋谷にある私立女子高のS子は…」などと取材がなされているのですが、やっぱりこれってわたしの出身高校(の前身)のことでしょうかね…。すげえな!うん、それだけだよ。
Hanakoのほうは、創刊当初の特集がやばすぎる。今やったらご乱心かって感じ。「ニューヨークWANTS満足大情報。あなたを三年在住のニューヨーカーにしてしまう」「お取り込み中、失礼かと思いますが、ゴルビー以後の東欧大情報」「男をアゴで使ってふたりで食べる」「賢くシャネルを買う方法=ホノルル・香港・シンガポールのシャネル・ブティック買い物術ガイド」ですよ…!バブル…恐ろしい子!いまのHanakoを見ると、完全に等身大のタウンガイドになっていますね。ananの迷走は各地でいわれていることだし、絶頂期を知らないわたしがなんだかんだいっても説得力がないのでパス。しかし、最盛期のマガジンハウスはすごかったんだろうな。そんなこんなで、スイーツ(笑)などといわれて久しいけれど、わたしは女性誌を読むのがものすごく大好きです。

このあいだ友達と、現代って時代を象徴するものがないよねって話をした。Zeitgeistというやつか。それはまだ20年しか生きていないけどなんとなくわかるな。小学生のときは、もっとみんな安室ちゃんとかモーニング娘。を聞いて、紅白を見て、暮らしてきた気がする。で、CDが100万枚売れるのと、楽曲ダウンロード数が100万になるのとでは、本質的な違いがある気がする。きっとその前はもっともっとみんなが同じ夢を見ていたんじゃないかなー。いま学生運動の映像を見ても、「暇な人たちだな…」としか思えませんでした。いやそれは東大コンプレックスも多分に影響しているんだけどさ、でも、わたしたちは確実に昔の学生より、バイトとかサークルとかゼミとか学生団体とかで忙しい。
本日のそれがどうした話その2になってしまいそうだ…。しかもこんなことどこでも言われているしね。グローバル化とかそういうもっとでっかくて頭の良い文脈でも。
雑誌の話につなげたかったのだが難しいな…。あっでも!雑誌のジャンルは明らかに細分化していて、でもそれって同時に細分化した中でお手本が作られちゃうことにならないかなって思うの。ん?ステレオタイプっていっていいのかな。森ガールとか…。そして自分がなにかにジャンル分けされるのがいやでも、勝手にされてしまうというか…。きっとわたしには村上春樹サリンジャーを読んでレディヘを聞いてトレインスポッティングを見ることが期待されているんじゃないかなーとか思ったり…。これずっと思っているけどうまくことばにできないな。んー、断片からぜんぶを判断しないでくれよってことかな…よくわからない!
ちなみにわたしは森ガールが嫌いです(たまに森ガールっぽいっていわれるけどな)。なぜなら、体のラインを隠した服を着てるけどどうせお前ら男にもてたいんだろ!エッチなことしたいんだろ!ってすごく思うからです…。はいくだらないですね。てか、ひがみですね。