折り返し

●2010年も後半戦だね!個人的には、正月に立てた目標を達成できそうでございます。
それにしても上半期はありえないようなことばかり起こったな。藤本和子さんがブローティガンの未発表作品を翻訳なさるとか、言わずもがな小沢健二復活とか!

●すごい夢を見た気がする…。
内容としては、津波がやってくるってくらいの単純な話だったのでそれはいいんです。
一瞬起きたみたいなんだけど、夢の中で膝を折っちゃってさ、ほんとに膝が痛くて体の向きを変えられなかったのよね…。打撲のような痛みだった…。ちゃんと起きたあと確認したけど、痛くもなければアザとかもないし、自分の想像力の豊かさに引いたわ!でも、今までも夢の中で五感ぜんぶ体験したことあるけどね。

●セールの季節!
私は昨日も一昨日も新宿でセール会場に行ったのだけど、世の中、ひどい服を着ている人が多すぎる…。
別にセンス云々を言っているんじゃなくて、明らかに今シーズンで捨てられちゃいそうな、適当に流行に乗ってみましたーみんなが着られるように安い素材で作りましたーみたいな服、街に溢れすぎ。
ファストフードはさ、その場で食べられるからまだ許すよ。でも服は物だからさ…。布、もったいない…。それにああいう服ってデザイナーはいることはいるんだろうけど、誇りを持ってデザインしたかっていうと流行の後追いなんだからそんなことはきっとなくて、服を作る人だって、どうせ悪い生地で作る服なんだから何年も何年も着てもらえるなんて思えないだろうし、そういう、愛のこもっていない服を着るとなんだか自分の価値まで不当に下がっちゃう気がする。
結構そういうのを見るのが耐えられない、携帯投げそうになる。
特にね、わたしはスタイルがすばらしく悪いので、細くて足の長い子がそういう死んだ服を着ていると、もったいないなって思う。
別にみんなが高いブランドで服を買えって言っているわけじゃなくて、ただ、服がないからとりあえず買ったんじゃなくて、愛着を持ってずっと着られる服をみんなが買えば、もっといい雰囲気の世の中になるんじゃないかなって話です。私はおしゃれにはなれないけど、でも死んだ服は絶対買わない。

しかし、新宿伊勢丹で素敵なお洋服やカバンを見ていると、てか端的に言えばプラダを覗くと、ああもうバリキャリに変身して稼ぎまくって買いまくりてえ!就活してえええ!大手!大手!となるな…。欲望って尽きないから怖いよね。中村うさぎの気持ち、きっとわかる。みんなどこかでリミッターをかけているだけでね。

ちなみにあともうひとつ就職したくなってしまうのは、丸の内仲通りを歩いているとき。丸の内OLになってあそこらへんを毎日歩いてランチなんかしちゃいたい!
丸の内は三菱地所がいい仕事をしすぎていると思う。あの会社はね、丸の内の建物をだいたい持ってるの。だからあんな日本離れしているのに全然不自然じゃない素敵な道ができるのね。そしてそんな丸の内で食育とかコミュニティ形成とかのためのイベントを企画したりね、ほんともう、いいよね!丸の内って住む場所じゃないからさ、下手したら平日に働きに来るだけの街になりかねないんだよね。それを変えて、
なんとなくみんながつながっている街にしようとしているのがいい。三菱一号館、見たことあります?あの中庭とか、もう、余裕たっぷりで最高。この汚い東京のまちだけど、丸の内は別!都市開発の成功例だと思います(あとは渋谷のキャットストリートもあれはでかい資本が関わってないはずだがみんながあの街が好きなのが伝わってきていいよね)。地価が高かったり、三菱地所モノポリーだからっていうのが大きいんだと思うけどね。まあ理由なんてなんでもいいや、丸の内大好き。東京駅の改修が終わるのも楽しみですね!
どう考えても不動産業界には向いていないと思うが、しかし、次生まれてきて不動産気質で体力があったら、ディベロッパーになりたいなあなんて思います。現世ではきっと無理!
ちなみに丸の内オアゾの中に本屋があって、そのまた中に「松丸本舗」っていう企画書店みたいなものがあります。少しでも本が好きな人は、ぜひ一度行くべき。それはもう幸せな気持ちになれるよ。

●言葉を得る過程は思想を得る過程なんじゃないかと最近感じる。
大きいレベルの話だと、わたし昔から朝日新聞しか読んだことがなくて、それが右か左かも知らずに朝日の考え方を標準にしてきて育って、今、産経とか読売を読むとものすごい違和感がある。まあいいことでも悪いことでもないと思うし、朝日の影響だけを受けたわけではないと思うが。
友達が「iPhoneのアプリで産経新聞を読めるのがあって就活におすすめだよー」って紹介してくれたけど、もうそれを聞いただけで、ああ普段は新聞読まない子なんだなってわかるよなー。
あとは、ここ最近まじめに本を読んだりしていて、今さらやっと言葉を獲得してきた気がする。楽しくて仕方ないんだけど、いったん文脈に沿った知識を手に入れると、今までみたいにすなおに読むことが難しくなったりするなって思った。きっとこんなこと1年生のときに経験すべきことだったんだろうけどさ…。
その、知識を得たらそれなりに自分の受け取り方が生まれて、それを補強するような読み方ばかりしても、狭くなるだけなんじゃないかと思う。でも、反対意見を読むとどんどん反論したくなって、私の場合だけど精神衛生上よくないんじゃないかとも思う。でもそしたら反対意見を受け付けられない人間になっちゃってあやういよな…。
具体的にいうと、保守的なオジサンの書く家族論に、どうしても反発してしまうんですよ…。感情的になってもいいことない気がするんだけどね!難しいな、ものを知るって。
で、その上でものを言うって、やっぱり誰かの反発を招くようなことなのかも。でも一般論ばかり言っても、じゃあ私が書く意味がないしね。まあ批判されると心弱いからすぐ変な汗をかいちゃうんだけどね。

●毎日タイ料理ばっか食べて幸せだった!
もし私がタイ人に生まれていたら、ごはんがおいしすぎて半端ないでぶになりそうだな…