死・旅

●アルバイトを辞めたので素晴らしくひまです…。ほんとただのニート
ビルの高層階にあるのにエアコンを使わないという過酷すぎる労働状況に加え、シフトを無理やり入れられたのを2日後に断ったら「私用で休んだら採用を取り消すかもしれません」みたいなことを言われたので「だったらもういいです」と言ってしまったんですよね…。いやもっと様々な原因があり、それについて嫌味なことを言われたのでそれ以上の嫌味を言って辞めたんですけどね!我ながら大人げない。みんなにたしなめられました…。あーあ、20倍以上の関門をくぐりぬけたというのに。

●ひまだからスティーブ・ジョブズの講演をネットで拾い読みしてた。ひまじゃない限りこういうことはしないからひまっていいなー、やっぱり。ちなみにジョブズって2ヶ月くらい前まで誰か知らなかった。アップルの創業者だよね。というか今もどれくらいえらい人とかよくわかんないけどせっかく読んだからちょっと引用!スタンフォードの卒業式での講演だそうです。

私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

ふむ。今日死ぬんだと思ったらしがらみとかごちゃごちゃしたものから解き放たれるってことと、そのごちゃごちゃしたものが日常のものすごく大きな部分を占めているってことだと理解すればいいのかな。
私が海外旅行を好きな理由のひとつに、好きな服を好きに着ていいっていうのがある。ちょっと写真を貼るのはためらわれますが、派手なロングのワンピースとか、ノースリーブとか、絶対日本で着ないような服をあっちではよく着る。着るとけっこう好きだったり似合ったりするんだよね。あとは、旅の恥はかきすてじゃないけど、行ってみたいところは気がひけようと行くし、食べてみたいものにもなるべく挑戦する(乳製品とジュースは日本以外のは信用してないんだけどね…)。知らない人とも話す。
死を思うことと旅に出ることはちょっと似てるなって思った。日常のいろんな文脈から自分を切り離して考えなきゃいけないとこが。しかし、毎日人生最後の日だと思って生きたら、私はとりあえずカード破産する!あと太る!まあ、しがらみもそれなりに大事なんだよね。

テイラー・スウィフトのYou Belong With Meについて少し。昨日貼った曲ね。歌詞の内容はだいたいPVみたいな感じで、うわべだけ華やかな女よりも私のほうが彼のことわかってる、みたいなことを歌ってる。She wears short skirts/ I wear T-Shirtsっていう対比が歌詞の中にあるんだけどさ、きっと等身大の女の子の歌なんだろうね。二番では、彼女はハイヒールで私はスニーカー。わかるよそれ!履けばいいとかそういう問題じゃないんだよね。私はたぶんどちら側にも属していないけど、でもハイヒール、履けない。履いたら意外と似合うかもよとかじゃなくて履けない!あ、これそのつもりなかったけど上の話とつながるね。スクールカーストとか女の子内のジャンル分けとか、そういう文脈で私はスニーカーとかを履くべき人間なんだと思う。服だってぜったいアプワイザーリッシェとかでは買わない。いくらかわいいと思っても着ない。それが日常というやつで、その歌の主人公はもうライバルみたいにきらきらした世界には入れないんだよね。それに世界中の女の子が感情移入できたから売れた…んだよね?きっと。(まあ最後にテイラーちゃんはプロムで美しいドレス姿になっていたので裏切られたという思いでおなかいっぱいですけどね!)
でもこの人グラミー賞とったんだよね?なんかこの曲ってチアリーダーやっててミニスカとハイヒール履いてるような、もっというとライバル側の女の子が聴くんじゃないのかなあって思った。アメリカの子は私の知っている社会と価値体系が違うのかもしれないけど、でも少なくとも日本だとそうだよなー。アメリカのヒットチャート聞く子。だから彼女たちがこの曲の主人公に共感するのはなんか不思議だと思う。Tシャツ着てスニーカー履くような垢ぬけない女はテイラー・スウィフト?はぁ?みたいな感じになるもん、きっと。そういう音楽を選んだ時点であなたはスニーカー女じゃない。だからきっとあれだな、ハイヒールってほどではないけど無自覚に精神はハイヒールな子(パンプス女くらいかな)がスニーカー女に共感してることになるな。
まあ女の子のジャンルはハイヒールとスニーカーなんていう二元論ではとうていおさまらないし、それにパンプスを加えたところでそんなの中間地点があるだけだから二元論の域を出たことにはならない。とか、あの曲の中で完全に見落とされている存在であろう私が言ってみました。