バナナブレッドのプディング

こないだも書いたけど、大島弓子の漫画が大好きです。というわけで昨晩「バナナブレッドのプディング」を読んでいたら、ちょっとだけ『ライ麦畑でつかまえて』の影響を受けてる。ということに気づいた。まあわかりやすいからこのふたつで検索かけたら大量にヒットしそうだな…。えっとね、主人公の女の子とかたちだけの結婚をすることになってしまった男の子(とはいえ大学生だから大人か)に、主人公の幼馴染でもある妹から手紙が届く。「あの子がおよめにくるまえに読んでください/おにいさま/これは人だすけです/ひとりの少女が崖におちないようにささえるのです(後略)」。崖におちないように。おおお。ってこれだけじゃ読み飛ばしちゃうけど、中盤、男の子はもともとプレイボーイだし、はやくこんな不自然な結婚生活やめたいって思っていろいろな行動を取る。でも主人公は未熟で精神が不安定で、その姿をみて思いなおすときのモノローグ。「(前略)おれは気がついた/妹の最初のことば「崖からおちないように」をわすれていたと」。二回目!しかもね、そのとき主人公は原っぱで草をみつあみしているの。うおーまじでそのままじゃないか。もちろんストーリーが似ているとかではないけど、あとは大島弓子の漫画って人がベッドで寝ているところに他のだれかが話しかけていたりとか、その姿を見ているとか、そういうシーンが多かったりして、ここもアントリーニ先生のところと似てるんじゃないかとかシロウトが邪推してみたりね。たのしいよねこういうこと。あと、何度でも主張するけど、村上春樹の突拍子もない比喩表現はぜったいにブローティガンの影響だと思っている。ブローティガンのほうが比喩、うまいけど。
好きなもの同士がこうやってつながっていくのが好き。こういうマイナーな、ほとんどだれとも共有できないよろこびをひとりで勝手に貯金して歳を取ってそのうち死にたい。でもじつはまだまだ死にたくないなー、明日また新しい街に行って新しい何かに出会ったら、それがまた泣きたくなるくらい好きになれるものなのかもしれないから。正直言って私は自己実現とか生きがいとか成長とかキャリアアップとか全部どうでもよくて、小沢健二とかブローティガンとか穂村弘とかすばらしい景色とかその他まだ見ぬ何かが大好きで、その気持ちを燃料にすればなんだか死ぬまでは生きていけるような気がするんだよね。食いぶちねぇ…、いや、なんとかなるでしょ。なんとかなるとしか考えられない。
今日はそういうことを考えながら恵比寿〜広尾〜六本木〜青山〜千駄ヶ谷間を散歩していたんだけど、あそこらへんもいいところだよね。というか初めて広尾に行った。かなり好みの街で、ちょっとどきどきした。有栖川宮公園も初めて見たけどなんだあれ、非常によい雰囲気の公園でびっくりした。青山ブックセンターで「穂村弘の本棚」も見られた。東京に20年住んでてもこういう新しい発見があるわけで、やっぱり明日も明後日もいいことあるんだろうな、と思わざるをえない。まあこういう気分になれるときもあれば、どうしようもなく沈んでしまうこともあるんだけどさ。
今日はいいこと(しょぼすぎますかね?)が重なりすぎたな…。散歩しながら小沢健二を聞いてて、なんだかもう世界が私と私の好きなものだけで完結してしまっている感じだった。というか、好きなものたちの世界に私が入って輪っかになるかんじ?いいなって思う本を読んだあとに、べつの本を読んだらつながっていたりしたときとか、いきなり新しいものの見方を身に付けてしまえたときとかにもこうなる。たまーにだけど。他のことは何もかも心からどうでもよくなるんだよな。就活とかゼミとか。べつに現実逃避じゃないんだよね、だってこれがいちばんリアルなんだもん。誰もさわれないふたりだけの国ってやつだよ!(スピッツこれくらいしか知らない)
なんだか甘えたことばかり書いている気がする…けど気のせいでしょう。好きなものがたくさんあるのは努力の結果とはいわないけど、それでもいろいろ出会うべく生きてきたんだと思うし。だからこのまま生きていけるとしか思えない。