変態被害者の会

1989年11月生まれ、というと、誕生日が壁崩壊の前か後かでちょっとだけ話が盛り上がることがある。私は17日の午前8時過ぎに生まれた。ベルリンの波を受けて、プラハでも革命が起きた日だ。時差があるから、革命前夜、といったところだろう。
1999年11月17日の朝、私はいつものように小学校への道を歩いていた。始業時間が8時20分くらいだったので、いつも8時に家を出る。となると、登校している途中で、誕生時間を迎えることになる。
「そろそろ、ちょうど10歳になるかな」と思ったあたりで、道沿いの空き地からとつぜん「すみません」と声をかけられた。その空き地に人がいるのを見たことがなかっただけに、声の主である中年男性の姿は唐突に映った。彼は、フィルムケースを手にしていた。当時はまだフィルムカメラが主流だったのだ。空のフィルムケースは小さいものを入れるのに都合がよい。私はビービー弾を拾っては詰め、机の奥にしまっていた。
男が二言目に放ったせりふに、私は背筋を凍らせることになる。
「研究をしているのでつばをくれませんか」
ふたを開けたフィルムケースを差し出して、はっきりと彼は言った。
男の脇に停められている銀色の自転車の前輪には、白の筆で名前らしきものが書かれていた。これを目に焼き付けよう。
「急いでいるのですみません」と断りながら、視界の端には神経を集中させる。おぼえた。
男は「あ、そうですか」と食い下がるふうもなかったため、小学校に足を向けようと思った。体の向きを変えようとしたとき、自分が無意識のうちに手を胸の前で合わせていたことに気がついた。
帰りの会で担任にそれを告げようとしたとき、私はすでに男の名前を忘れてしまっていた。

数人でおしゃべりしていると、たまに、今までに出会った変態自慢大会が開かれる。それぞれ、きっと遭遇当時はショッキングだったのだろうけれど、個人内での昇華を経て語られる話は、ただただおもしろい。私のこの経験も、何度も酒の肴にされてきた。ちょっとアブノーマルな変態の話は場を和ませるし、話題がなくなったときに役立つ。

10日ほど前の産経新聞に、こんな記事が載った。

女児から唾液収集 「つばくれおじさん」逮捕 200人分のテープや容器を押収
2011.6.14 15:47
 女児に路上で声をかけ、つばを出させて動画撮影したなどとして、警視庁生活安全総務課の「子ども・女性安全対策室」(愛称・さくらポリス)などは東京都迷惑防止条例違反(常習卑わい行為)の疑いで、東京都東久留米市前沢、無職、水野稔彦容疑者(55)を逮捕した。
 同室によると、水野容疑者は「女の子を自分のものにしたかったが、連れて行けないので、分身として唾液を持ち帰った。17年間で4千人に声をかけた」と供述しているという。
 逮捕容疑は、昨年10月9日、小金井市のマンションの駐輪場で、当時小学5年生で10歳だった女児に、「つばの研究をしているから、つばをくれないか」などと声をかけ、フィルムケースにつばを吐き出させ、ビデオカメラで撮影したなどとしている。
 同室によると、同じような被害は埼玉県でも確認されており、インターネット上では、「つばくれおじさん」として、警戒されていた。
 同室は水野容疑者の自宅などから9、10歳を中心とした女児約200人分の口の中やつばを出す姿を映したビデオテープやフィルムケースを押収した。
(出典:http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110614/crm11061415470031-n1.htm

完全にこいつだ…。対象も手口も時期も、なにもかも一致している。名前は残念ながら思い出せないけれど、私が見た文字は「水野」だったのかもしれない。
まさか、私の人生を少しだけ狂わせた人間が逮捕されて、全国でニュースになるとは。少しなつかしさに似た、変な気分が内臓のあたりをぐるぐるした。
男が声をかけた女児は4000人だという。私もそのうちのひとりだ。さいきん逮捕されたということは、現役女児もおおぜい含まれることだろう。しかし相当数の元女児が、10年以上も昔にこの変態から身を震わせて逃げたか、もしくは屈してつばをフィルムケースに吐いたはずだ。数百人はほぼ同年代で、きっと変態自慢大会でこの話をしてグランプリを獲ってきたに違いないのである。
被害者みんなで女子会したいなあ。