伝えられない、ということ

ちょうど1ヶ月前、夜行バスに乗って岩手県大槌町に行った。いうまでもなく、こんどの震災で大きな傷を受けた場所だ。町長をはじめ、町役場の課長クラス以上の職員のかた全員が、波に呑まれた。
津波が町を襲い、家の骨組みや泥が川を逆流した。その川には鮭を孵化させる施設があり、毎年、成魚が遡上するそうだ。でも、津波に襲われたままの川には、鮭が戻ってこられない。
東京にいながら復興支援について思考を巡らせ続けることに、限界を感じていた。義援金もほとんど出せない(「経済を回す」のも重要だとかそういう議論がありましたよね)、特別なスキルも人脈もない、でも、お役に立てるならば立ちたい。
いつかどこかで、体を動かしてボランティアをするのだろう、と思っていた。ほとんど直感だ。少しだけれども書く仕事をしている者として、行って、見て、感じたことを、「行かない」という選択をした人に伝えられるのではないか、とも思った。私が書けば、それを読んでくださるであろう人の顔が、何人も思い浮かぶ。ちょっとした下心だといっても差し支えない。それはおそらくジャーナリズムとはちがうものだから。
大槌町で川の清掃をしませんか、という告知が大学のボランティアセンターからされた。「行くなら今だな」と思った。申し込みをしたら抽選に通過し、派遣されることが決まった。
先に結論をいえば、私は非力だった。マンパワーになろうとすれば熱中症で倒れ、見たものを伝えようとすれば1ヶ月が過ぎたあともなにも書く気になれなかった。
でも、そのことくらいは書いておこうと思う。おそらくそれがいま私のとれるもっとも誠実な態度だ。
「報道では伝えられていない被災地のなんちゃら」みたいなことはいいたくない。というかいえない。NHKニュース(「おはよう日本」)と朝日新聞石巻日日新聞にしか触れていない(ツイッターのようなネットメディアさえほとんど見ていない)私が、メディアの取りこぼしを把握できているわけがないから。
もしくは、「言葉にできないくらいの被害」ともいいたくない。私は私の日常生活ですら、すべてを言葉にできるわけではない。事の大小を問わず、言葉にしきれないことがあるのなんてあたりまえだ。
事実を真摯に書こう。
10時間以上の長旅を経て、夜が明けた。バスの窓から見えたのは海だった。
朝の光に照らされた海は静かに水を湛えていた。
東京に住んでいるからだろうか、よく「海を見に行きたい」と思う。今も思う。「海を見たことのない重病人ふたりが病院を抜け出し、冥土のみやげに海を見てから死ぬために奮闘する」というストーリーの映画(『ロッキン・オン・ヘブンズ・ドア』)が好きだ。ディズニーシーも大好きだ。
美しく楽しい「海」は、たしかに海のもつ数少ない顔をとらえているにすぎない。しかし、大槌町で見た海が「本当の海の姿」とはいわない。でも、あの、ゆるぎなく現前していた海のことを、私はしばらく忘れられないだろう。
掃除をした川からはさまざまなものが出てきた。もと柱、もと食器、もとコンドーム。もうだれにも所有されていない。犬のぬいぐるみをゴミ袋に入れられずに川岸にほうっておいてしまった私はボランティア失格だと思う。べつに人間としても合格じゃない。
太陽の下、35℃、長袖長ズボンにレインコートを着て、顔にはゴーグルとマスク、頭にはヘルメット、脚は長靴が覆う。いくら休んでも、いくら水を飲んでも、ひとたび川のぬかるみに入って泥を掬えばすぐにのどが乾く。寒気を感じて木陰に座っていたはずが、バスで寝かされていた。
「車窓からでも、いちばんひどい被害を受けた地域を見ていってほしい」と言われた。そこで見たのは、たぶん報道とはさほど変わらない光景だ。
海岸のすぐ近くの土地は、広い空き地なのかと思った。が、よく注意して見ると、家の土台らしき四角くて大きくて平べったい石が並んでいる。なにもかも流されているから、そこに家があったと気づくことができなかったのだ。いわゆる半壊状態の家のほうが、現実味をもって津波のひどさを伝えられる。でも、もっとひどいところは、「流されちゃってなにもない」。ほんとうになにもなかった。
べこべこにへこんだ車を何台も見た。そんなの映画やアニメ以外で見たことがなかった。でも、映画やアニメで見たことがあったから、初めて見るくせに既視感があった。気持ち悪かった。
「帰ってきたら誰かに伝えよう」という気持ちが消えていったのは、そのあたりだった。「もしもこれが自分の地元で起きたことだったら」という考えが頭をもたげた。そうしたら、もう冷静に事態を眺めることができなくなった。そこに住む人の気持ちを想像することはできなかった。その事実がよけい私を動揺させた。
前後の座席では、同行者たちが町のようすをカメラに収めていた。車内で話す者はだれもいなかったが、レンズの動く音だけは聞こえた。
私は写真を撮る気にはなれなかった。それが善や悪に還元できるということではない。ともかく、私が写真を撮って帰ることにはなにも意味がないように感じた。カメラを持った私はおそらく、意図的に、被害のひどい箇所にピントを合わせてシャッターを切る。そうすることが、どうしてもできなかった。
文章を書くのだって、写真を撮ることとほとんど変わらないのではないか。そう思ったらもう当初の下心は失せていた。なにか答えのようなものを出すことは、長らくできなかった。というか、いまもなにかいえるわけではない。
そういうわけでブログを更新できなかった。まさに言葉を失っていた。もうまじめにものを考えるのにも疲れ切っていた。
でも、このままではいけないな、とも感じていた。文章で食っていこうと思っているならば、書いてしまう図太さもあったほうがいい気がする。そもそも、伝えることは自分の仕事だとも、これはおそらく要請されているような気分で、思っていた。
そういうわけで、ちょうどひと月でいい機会だと思い、見たものと感じたことを書いてみた。ピントが合っている位置はかなり恣意的なはずだ。でも、これに意味がないとも言い切れない。
書いてみて意味があると思ったから公開しているけれど、ほんと、どうなんだろう、という感じだ。これがなにかの役に立てばいいのだけれど。