いじわる言ってみる

じゃかじゃ〜んっ。
みなさまゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたか。私はほぼすべて予定が埋まり、傍目にはひがまれそうなくらい文化的に充実した一週間でした。いやー楽しかった!が、それに反比例していくかのようにメンタリティが暗くよどんでいき(おもに進路について考え始めると…って、働くしかないんだけどその方法がまだまだみえないのです)、もう今週末はぜったいぜったいゆっくりすることを誓いました。
5月2日はモテキナイトに行ってきました。出演者がものすごく豪華でした。青春狂走曲とテレフォン・ラブをみんなで歌えたのがよかった!大トリはスチャダラパー森山未來今夜はブギー・バックで、夢のなかにいるみたいでした…。幸せだった…(この映像、こんどの映画に使われるらしい。藤本幸世の妄想シーンかなんかで)!それにしても日比谷野音、見たかったな。しつこいですね。
地震のあとのもやもやした気分、というかもっとはっきり言っちゃうと原子力発電への違和感を、スチャダラパーがけっこうストレートに表現していたのにびっくりした。「水銀、コバルト、カドミウム〜」って曲(ゴジラの挿入歌?)とか、「ジャカジャ〜ン」とか、この気持ちを全員で歌おう!みたいな。単純に音楽が気持ちよすぎて、めちゃくちゃ楽しかったです。
で、このあいだ高円寺のデモを見物に行って、自分があまりにこの問題にコミットしていないことをひしひしと感じてしまったんだけど、ひょっとして今スチャダラパーの曲で踊っている感じは、デモに参加していた人たちの気分と似ているんじゃないかな、と思った。
地震が起きるまでは「投票行動だけが政治じゃない、デモという選択肢だって同じように意見を表明する場だ」なんて考えていたくせに、いざ高円寺で反原発デモを目の当たりにすると「うわ、私とは違う人たちだ」としか思えなかった。多少なりとも大学で政治学を専攻して、弱い者がどう声をあげていけばよいのか、結論は出ていないにせよ考えている身にとって、それはなかなかショックなことでもありました。頭では「デモっていいなあ」とか考えても、身体感覚が拒否してしまっているじゃない。
でも、私はスチャダラパーとかフロアと一緒に「異議あり異議あり!」と叫びながらぴょんぴょん跳ねていた(そういう歌詞の曲なのです)。ただ、同時に「異議なんかないかも…」なんてうすぼんやりと考えてもいた。
原発事故があったとき、私は東京電力も政府も批判しようとは思えなかった。真っ先に案じたのは、現場で作業をする人のことだった。どうして彼らは「決死隊」なんて呼ばれるようなことをしなきゃいけないか、というと、それは私のせいだと思った。反原発の言論があることは知っていたのに気に留めず、なにも知ろうとせず、ただただ不自由なく便利な生活を享受していた自分が、いちばん責めるべき存在だと感じた。というか、自分で自分のことを責めないと、自分だって「東電の被害者」の一部になってしまうような気もする。それはちがうんじゃないの。
原子力発電は、「なんかおかしい」と思う。こういう、専門家がじっくり解説してくれないと(くれても)まったくわけのわからないものに寄りかかって、生活しなくてはいけない。人間はずいぶんおかしなほうに来てしまったものだと愕然とする。2000年問題のときもちょっと思ったけど。
「なんかおかしい」という気持ちを表明することに異論はない。私みたいに、この事故で初めて意識した人だってたくさんいるわけでしょう。
ただ、その「なんかおかしい」という集団の気分が「東電あやまれ」みたいなことばに回収されてしまうのは、私は受け入れられませんでした。「東電と政府」という大きな敵を立てて、わかりやすいキャッチフレーズを繰り返す。デモがそういうふうに成り立っているはわかる。わかるけど、これまで何十年も原発関連の仕事をしてきた地元の人はどうなるの。原発がまったくダメなものだったら、誰も導入なんてしないでしょう。東京電力と「私たち」のあいだには、正義でも悪でもなく、原発と生きてきた人たちがいる。そして、そういう視点が、東京にいる私たちから抜け落ちているように感じる。たとえそれを意識していたとしても、デモで表出されるのはもっと上澄みの意見だ。やっぱり少し怖いな、と思ってしまう。デモの雰囲気はピースフルで、DJがいたりして、一種の「お祭り」みたいだった。でも、いくら楽しくやっても、主張は主張なわけでさ。
だからね、「異議あり!」って叫ぶのは楽しかったけど、「気分」をエクストリームな言説に集約してしまうことには、ちょっと、異議あり、なのです(うまいこと言った)。
私が大学に入った春に、胡錦濤が講演に来た。大学前の通りは「Free Tibet」を主張する人で溢れ返った。「大学ってこんなに政治的なところなのか…」と18歳の私は思った。まあ、他の大学ではそんなことないみたいですが…。
当時、mixiネームに「@FreeTibet」をつける人が本当にたくさんいた。あれから3年がたって、相変わらずチベットは自由じゃないけど、「@FreeTibet」はほとんど消滅したよね。いつ、どういう事実をもって、その人の中で「チベット」は終わったんだろう。「プロフィールを変更する」をクリックする。名前の欄にカーソルを合わせる。バックスペースキーを叩く音が響く静かな部屋を、なんとなく想像してしまう。いじわるでごめんなさい。
結局、ぜんぶぜんぶかやの外だよなあ、と思ってしまう。普天間も、伊達直人も。安全なところにいる私たちは、その安全な場所から、たくさんある問題に優先順位をつけてしまっている。それ自体は構わない。でも、いっときだけ盛り上がって、そのうち忘れてしまうのは、まちがっていると思う。私たちが見なくなっても、当事者にとって問題だったら、その問題は続いている。
原発は、東京も放射能汚染の危険性がある(っていうかもう危険なのか?)から、ちょっと別の話かな。でも、10年先に完全に脱原発していることはおよそありえない話で、そのときに今と同じだけの人が原発について考えているのかというと、かなり怪しいんじゃないかと私は考えている。
話がどんどんぐちゃぐちゃになってきてしまいました。
おおぜいの「気分」をひとつの大きな主張にまとめてしまうことはちょっと危ない気がする、というのと、そのときどきの政治問題を、ことばは悪いけど「消費」するのはよくないよね、ということがいいたかったのです。
自己満足かもしれないけど、私は定期的に日本赤十字社義援金を送金することにしている。額はほんのちょっぴり。でも、終わらせないことが大切なのかな、と思う。
それにしても、デモとか見るたびに思うんだけど、ああいう「活動家」(というのか?)ってどうしてデニムシャツにジーンズ履いているんだろう…。
あとスチャダラパーのCDぜんぶ聞きたくなった…。

パンは意外と早く冷める(「ちこくちこくー!」する際の注意書き)

大学四年生で就職先やら進学先やらの決まっていない現在ほど、一年先を想像するのが難しいときもない。びっくりするくらい、なにもわからない。
だからといって一日先や一週間先のことが一年先よりもよくわかるかというと、それも否である。たとえ予定が入っている日でも、そのディテールまでを誰が決められよう。人生は不確実性に満ちたもので、だからたのしい。明日のことがすべてわかるようになったら、私は自殺するだろう。
2日前の朝7時、私は食パンをくわえて「ちこくちこくー!」と(心のなかで)叫びながら、自転車を走らせていた。
遅刻のおそれがありかつ空腹のときに限られた時間を有効活用するために食パンをくわえて出発し目的地に走る道すがら食べる行為(以下「ちこくちこくー!」とする)は空想の世界にしかないものだと思っていたし、おそらく読者のみなさまもそう思っていることでしょう。「ベタ」なことはたいてい、物語のなかにおいてのみベタなのである。その証拠に(?)、「ちこくちこくー!」には決まった名称がないではないか。
状況を説明してみよう。
その日は8時台に大事な面接があった。会場に行くまでにかならず寄らなければいけない場所があり、その立地がどの駅からも1km以上離れているため、普通に電車で行くとものすごい時間のロスになる。真実も結論もいつもひとつ。自転車で行くことだ。総走行距離は20km未満で済むし、その後べつの場所でいくつか予定があったため、自転車を使うのが最善策だと思われた。
余裕をみて逆算して、6時45分に家を出ればかんぺき。そして私が起きたのは4時を少し回ったころだった。
かんぺきすぎるじゃん、とお思いかもしれませんね。そんなことはありませんでした。面接会場で提出しなくてはいけないエントリーシートを、紙に打ち出してすらいなかったのだから。
前夜になにをしていたかというと、もちろんノートに下書きくらいはしていましたよ。でも、切羽詰まらないと行動に移せないのが私の短所なのです。目覚ましを4:30に設定して、日付が変わったころに床に就きました。
はたして、当日の日付を書いた熱っぽい口調のエントリーシートができあがり(私はこの会社の作るものが大好きで、自分の人生にも大きく関わってきたと思っていて、どうしても気持ちが走ってしまう)、6分で化粧を終わらせ、6時55分。何も食べずに出発するのはあまりに危険でしょう。私はかならず朝食をとりたいタイプの人間なのです。
トースターに食パンをセットしたところで、もうひとつ打ち出しておかなくてはならなかった参加票のことを思い出す。マイページにログインして、ページを出して、「印刷」をクリックして。やっと紙が出てきた。エントリーシートと一緒のファイルに入れ、玄関へ急ぐ。7時。
トーストが焼きあがっている。私の好きな国産麦のパン。TPP…については、ごめんなさい、詳しくない。
この状況で、「ちこくちこくー!」以外にどのような行動がとれるというのでしょう。とれないよね。そういうわけで、私はついに漫画の世界に足を踏み入れてしまったのでした。
以下、「ちこくちこくー!」フォロワーに捧ぐ注意点。
ひとつ、パンは意外と早く冷める。…自転車に乗っていたからかもしれないが、あたたかいパンを食べられるのはほんとうに一瞬のみである。「焼きたてパンをお外で食べる」というすばらしいシチュエーションがここまで生かされないときもあまりない。実行した者は、自分の計画性のなさに後悔することだろう。
ひとつ、パンを食べ終えるのには意外と時間がかかる。…走りながら食べることに、われわれ人類は最適化されていない。せいぜい、部活の帰りに肉まんをひとつ買って歩き食いするくらいが関の山だろう。とかく慣れないことには時間がかかる。パンはいつまでも残っている。
ひとつ、朝の早い時間帯に実行すべし。…二次元にはなくて三次元にあるもの、それはノイズである。というかもっと具体的に言ってしまうと、コバエである。私は早い時間だったのでさいわいにしてコバエに遭遇することもなかったが、日が昇ってきたら大量のコバエが空中に出現するにちがいない。これからの季節なんてなおさらである。ただでさえ遅刻寸前で余裕がないときにコバエなんか食べてごらんなさい。想像しただけできもちわるいです。
ひとつ、口にくわえたままじゃ食べられない。…これも二次元の越えられない壁かもしれない。片手はあけておかないと、冷めたコバエパンを口からぶらさげて走り続ける変質者になってしまいますよ。
ひとつ(これがいちばん重要)、始業式の朝に実行しないかぎり、転入生など存在しない。
そもそも「ちこくちこくー!」は、その名が示すとおり、遅刻を避けるために行うきわめて合理的な行動なのである。ひとにぶつかったら、焦りとイライラがピークに達して、恋愛どころではなくなってしまう。そもそもこのブログをいちばん読んでいると思われるのは大学生であり、残念ながら大学に「転入生」制度はないのである。学士入学くらいか。
私は高校生のとき、毎朝同じ道を自転車でかっとばしていた。ある時期、他の高校の男子生徒がいつもものすごいスピードで私を抜かしていくことに気づき、それからは全力で競走する日々が続いた。たまに駅で会って、照れ笑いを浮かべながら会釈するだけの関係。学年も名前も知らなかった。そのうち私は電車の時間を変えてしまい、もうかれに会うこともなくなった。どこの高校かも、当時は覚えていたけれど、今は忘れてしまった。あれはよかったなあ、と思う。
ちなみに面接には間に合いました。というか、会場にいちばん乗りしたのは私でした。ちゃん。

8000円選書・四月

さる事情により、毎月だいたい8000円を決まった書店で使うことにしています。っていうのを晒す日記。読みたいのがあったら、私と直接の知り合いだったら貸すので連絡くださいな。

小五教育技術 2011年 05月号 [雑誌]

小五教育技術 2011年 05月号 [雑誌]

表紙の「春の運動会応援号!ダンスは、これで安心!!」に惹かれた。嵐のTroublemaker(これこのあいだ検索しようとしたら綴りが一文字もわからなくなった)に合わせたダンスが紹介されている。DVDつき。私は病的に踊りが下手なので、参考になったらいいな!
思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

はい、今まで読んでいなかったのが恥ずかしいです。
ケトル VOL.00

ケトル VOL.00

本屋特集ということで。ちらっと開いてみたけどよく行く本屋さんがたくさん載ってる!南阿佐ヶ谷の「書原」の棚には不思議な魔力があるんだよなあ。
SWITCH Vol.29 No.5(2011年5月号) 特集:東日本大震災

SWITCH Vol.29 No.5(2011年5月号) 特集:東日本大震災

3/11からの3日間に何をしていたのか、様々なひとにインタビューしている。のだけれど、こういういいかたが適切かわからないけど、執筆陣が豪華すぎる…!なんだこれ。
理科年表 平成23年

理科年表 平成23年

なんとなく手に取ってみたけどコストパフォーマンスが良すぎるぞこれ。日の出日の入りの時刻、植生、おもな物質の質量、日本人女性の平均体重など、1000ページ以上。
「モテる男はこう口説く!」5日間集中レッスン (PHP文庫)

「モテる男はこう口説く!」5日間集中レッスン (PHP文庫)

男は3語であやつれる

男は3語であやつれる

どちらの言い分もきいてみて自分で考えます。前者については、とりあえず「女性は面食い!」は私には当てはまらないよ。ほんとうだよ。
後者はよく読んだら、紹介されているのが3語じゃなかった。50語くらい。「この間、パスタ作ったんだけど…」…家庭的な女がタイプの俺が一目惚れしそうですね。
NHK きょうの料理ビギナーズ 2010年 11月号 [雑誌]

NHK きょうの料理ビギナーズ 2010年 11月号 [雑誌]

NHK きょうの料理ビギナーズ 2011年 04月号 [雑誌]

NHK きょうの料理ビギナーズ 2011年 04月号 [雑誌]

そういうわけでおいしいパスタを作ってみようと思います。大学が始まる5月からはお弁当生活が戻ってくるから、気合を入れたものも作る。
ちなみに先月のぶんはきょう、
正義論

正義論

これを買いました。授業が始まるまでに読む!

(長いです)沖縄に行った話

沖縄に行って帰ってきて、なんだか少しは平静を取り戻せた心持ちがしています。東京を離れたのがよかったのか、それともただ時間がたっただけなのかはなんともいえないけれど。
もう三度目ともなるとがしがし観光する気も起きず、丸一日かけて久高島というところまで自転車で往復してきた以外はぐうたらした旅行だったよ。早々に沖縄料理にも飽きてしまって、ただただ地元のおいしい店に行ったりしていたしなあ。妹とふたりで行くと気楽でいいものです(かかったお金はとりあえず私がすべて立て替えていたのですが、返済のめどがまったくたっていないことが発覚したときはさすがに腹が立ちましたが)。
こんどの旅行で確信したのは「沖縄は、三線の音色が聞こえない場所がおもしろい」ということでしょうか。国際通りだとか第一公設市場は、どこも似たり寄ったりのみやげもの屋ばかりでほんとうにつまらない。初めて来た人も一時間で飽きるでしょう。二日目あたりからは沖縄的なものすべてがしらじらしく思えてくるという謎の感情を、旅行に来たはずなのに味わえることうけあいです。
それよりも、適当に裏通りへ入ってみたり、本屋さんやスーパーマーケットに行ったほうが私は楽しいなあと思います。それはどこに行ってもそうだけれど、沖縄は完全なる観光地だから、とくに。本州とは歴史とか文化とか、いやそれ以前に自然・地理的条件がちがうから、とにかく地元っぽいものがほんとうにおもしろいです。
というわけで、沖縄で見たり聞いたり思ったりしたことを書きます。

最初のほうに書いたけど、自転車で久高島まで行ったのが楽しかった。那覇沖縄本島南部の左端にあって、久高島行きのフェリーが出る港は右端。つまり(縦長の島とはいえ)沖縄本島を横断したわけさ!片道だいたい25km強、那覇市内でマウンテンバイクを借りて行きました。
道中とくに変わったことやおもしろいことはそんなになかったけど、途中から海沿いの道を行くのが最高に気持ちよかった。車だと気づかないような、外気のかおり、妙に低い塀、すれちがう人からのあたたかい声援(沖縄では16になったら原チャリの免許を取るのがスタンダードだそうで、いつまでも自転車に乗るやつは珍しい、というかださいらしい…)なんかもよかった(個人的には、首里城近くにある金城ダムの景色もとてもすばらしかった。ダム萌えなどという言葉では語りつくせない、まるで古代文明の遺跡のようなロマンあふれるダムでした)。
そんなふうに楽しくサイクリングしていたら、「港まであと10km」の表示を見たときすでに出航45分前…。ふだん12kmほど離れた大学に通うのに1時間強かかるので、本当にまずい…!
まあ結果からいえば間に合ったのですが、上り坂気味の道を無言でかっ飛ばし続けて、沖縄だから暑いし、ちっちゃい虫とかいるし、すっごくつかれた…。10kmを30分で走破するという自己最高記録を打ち立ててしまったよ。10kmっていうと、新宿を起点に考えると、南は自由が丘、北は赤羽、東は両国、西は西荻窪。けっこうな距離なのだよ。
追加料金を払って、フェリーにマウンテンバイクを積む。船内ではずっと化粧品通販のCMをやってた。プロアクティブとか。私は乾燥肌で2か月にひとつくらいしかにきびができないんだけど、あったら身近なトップお悩みになるのだろうな…。
そうして着いた久高島は、琉球神話の聖地(神様が最初に降り立ったところらしい)というわけで、意外と観光客がいてびっくりした。なんと土地が総有制なんだそうだよ…。いろいろな過去の偉人たちが泣いて喜びそうですね。小さな島なので自転車で回るにはぴったりで、自然と海のあふれるいいところでした。

久高島名物のイラブー汁。「イラブー」が何か気になる人は検索してみてね。なんていうか、イラブーが入っていないほうが精神的に落ち着くし、味もおいしくなるような気がした…。しかしイラブーを食べてしまった私の体はいまやイラブーで構成されているのである!
そのあと別のお店でぜんざいをいただいた。沖縄のぜんざいは黒糖あんこのようなものにかき氷がかかっているんだけど、「氷を削る機械がいまこわれた」と店のおばちゃんに言われ、「じゃあけっこうです」と言ったのに無理やり削っていないでかい氷ののったぜんざいを出され、がりがり噛んで食べ終わった数分後に「お金まだ?」と言われました…。おいしかったからいいんですけど…。
私たちのほかにママ友どうし+3歳くらいの娘さんふたりの4人組がいて、「パパどうしてきてないの」「働いているからだよ」「なんで働いているの」「私たちが遊んで暮らしているからだよ」という会話をしていたので思わず声を出して笑ってしまいました。ごめんなさい…。

久高島のすばらしい海を背に疲れ切っているわたくし。帰りは基本的に下り坂だったので1時間半くらいしかかかりませんでした。斎場御嶽というこれまた聖地に寄ったりしました。「せいふぁーうたき」って読むんだぜ。

その翌日は地元民の集まる食堂で朝食をいただいた。ものすごい大量の豆腐ちゃんぷるーを出されたけど(おそらく豆腐二丁にほうれんそう二わくらい)、信じられないレベルでおいしすぎたため完食はわけなかった。途中で「ただいま」といかにも定職についていなさそうなおじさんが入ってきて、この2か月タイにいたけどこれから那覇で店を開く、といったような話を店のおばぁにしていた。仕事の内容はよくわからなかったけれども、なんだかとりあえずおじさんはこれまでの態度をおばぁに叱られていた。おじさんはことあるごとに私たちを会話の輪に入れようとしていたが、おばぁに「ここは食べるところだから話すな」と言われてしまい、どうすればよいのかわからなったので黙々と食事をとった。おじさんはタイには行ったことがあるのに、名古屋より東には行ったことがないそうだ。わーお。

その日はバスに乗って美ら海水族館に行き(あほみたいに時間とお金がかかるからおすすめしない。免許を持っていないならタクシーの運転手に交渉すればけっこう安く行ける)、その近所にある食堂で昼食をいただいた。そこのおじさんが強烈だった。
まあこのリンク先に飛べばだいたいわかると思うんだけど。
http://www.geocities.jp/kokko_bise/
最初の会話が「おれは人と違う力を持っている」「911北朝鮮の韓国砲撃も、こんどの地震もテレパシーでわかっていた」。台風の進路が変わったから地盤が動いていることは幼稚園児でもわかることであり(台風はあたたかいところを好むため、地盤の裂け目に沿って動くらしい)、だから東北で大きな地震が起きたそうだ。そういった説明を1時間半もされてしまったため「お姉ちゃんがまじめに聞くからつけあがるんだよ」と妹にマジギレされた。ごめんなさい。この理論を出版すれば私たちの通う大学で博士号を取れるかとか聞かれたので、学会で認められればいいんじゃないですか、と答えておいた。
東北大かどこかの院生がお店に来たことがあるらしい。その女の子ふたりは理系でキツネだかなんだかの研究をしているらしく、おじさんは二人を怒ったそうだ。6年も大学に学費を払ってなんの役にも立たない勉強をして、嫁にも行けなければ仕事も見つからないぞと。「地震で死んだんじゃないかな。あ、でもキツネは山にいるから大丈夫か」とのことだ。ちなみにおじさんはこの地震を予言していたのに誰も本気にしてくれず政府が対応しなかったのが悪いのだと話し、「これは天災じゃなくて人災なんだ」と息巻いていた。
ちなみにごはんはほんとうにおいしかった。東京でのれん分けを募集しているそうなので、気になる人は連絡してみるといいと思うよ。「ぜったいにもうかる。一日に千人が並ぶ」そうです。
お店にあったノートに全国各地からの寄せ書きがあって、心がなごんだ。

私はこういう絵が非常に好きだ。

ビーチや居酒屋の入り口付近などでひんぱんにDA PUMPのリミックスを聞くことができた。なぜリミックスなのだろう。それにしても、富樫明生は天才だと思う。私はDA PUMPが好きだ。

最終日は夕方まで個人行動。朝は初日に行ったインドカレーの店にまた行き、地元のおじさんに話し相手になってもらった。ほんとうにいい人だった。沖縄についてうちなーんちゅがどう考えているのか、ガイドブックでもまちを見ただけでもわからないことをたくさん聞かせてくれた。私は旅に、こういう出会いを求めていたのだ…。
その後は首里城近くの公園で地元出版社から出ている『沖縄県民の研究』みたいなタイトルの文庫を読んだりして、ゆっくり過ごした。首里城には入らなかったが、とかくたくさんの修学旅行生がいた。こいつら夜になったら恋バナでもするんだろうな、と思うときゅんとしてしまった。同一コミュニティ内でぐちゃぐちゃの人間関係を築けるエネルギーなど、もう20代になった大学生には残っていないのである。

スカイマークは思ったよりもぜんぜんひどくなかった。羽田空港から吉祥寺駅へのバスは、金曜日の夜だったこともあって、私たち以外はみな出張帰りのサラリーマンのようだった。おつかれさまです。斜め前の若い男性がアンドロイドでずっとずっと「食べログ」を見ていて、友達になれそうだと思った。

この旅行でいちばんうれしかったのは、何度か地元民に間違えられたこと。顔うすいのに。

日々のいいこと

さっきまで救いようのない泣き言を書いていたんだけど、ともかくいま自分がぐったりしてしまっている事実を受け入れましょう、という結論にいたりました。ひらきなおり。自分が傷つきやすい人間だということをむりにいま変えるよりは、自分をわかったうえでものを考えたり行動したりしたほうがいいのかな。
というわけで、今週のよかったことをちょっと書きだしてみる。
海南チキンライス。とカレー。
数年ぶりに食べたクレープ。
井の頭公園の桜。
寄稿の依頼(ちなみにもしもフリーペーパーとかへの執筆のご依頼があればぜひお請けしたいのでコメントなり@なりいただければとおもいます!よ!)。
台北の朝、僕は恋をする』。
自分の作った本のPOPがほんとうに書店にあったこと。しかも2店舗。
西新宿のビルの森、のふもとにあるインドカレーの店。
母の作ったココナッツカレー。
お湯が真っ黒だった温泉。
焼きたてのベーグル。
砧公園の桜。
瞳子』。
『空中キャンプ』。
『LIFE』。
目黒川の桜。
淹れたチャイがおいしかったこと。
ご近所物語』(古本屋にて、完全版セットで800円!)。
桜蘭高校ホスト部』(最終巻!)。
なんにんかの友人に内々定(というのか?よくわからない)が出たこと。本当におめでとう!数少ないともだちはみんな優秀で、心から自慢に思っているよ。
「作家になりたい」と書いて出したエントリーシートが2枚通ったこと。どちらもすてきな会社なので、そこのひとが、こんなことを書いた学生を落とさなかったのがうれしい。
久しぶりに母に料理を教わって、はじめて作ったロールキャベツがなかなかやさしい味だったこと。
こういうののなかに「友人に会ってしゃべったこと」とか書くのが苦手です。
いやなことももちろんあったし、それよりなにより自分がいやにもなりました。ふう。でも、かなりいい一週間じゃないか。明日は早いので、寝ます。おやすみなさい。
あ、ツイッターには載せたけど、桜のおすそわけ!

たぶん明日は来る

ホモソーシャルへのあこがればなしの続き。
フリッパーズ・ギターが好きなのもそれなんじゃないかと思えてきた。渡辺満里奈が入ってぐちゃぐちゃになった、というほんとかうそかわからないおはなしも、あこがれを加速させますね。

数ヶ月前にこの動画を見るまでZAZEN BOYSってこういうメンバー構成だと知らなかくて、男性だけのバンドだと思っていた。田渕ひさ子がまったく非性的な感じでこの中に入っていて、対等に楽器を鳴らしているのがうらやましすぎて見ていられない。だから、このPVが最後どうやって終わるのか知らないんだよね。う〜ん、かっこいい。いいな〜。
話は変わって。
アルバイトに行く電車の中で「空中キャンプ」を聞いていて、かなりどきどきした。地震のあとくらいからずっと聞いているけれど、心にしみる音楽だね。高校のときに友人が貸してくれていたというのにまともに聞いてこなかったのをとてもとても反省した!
と同時に、ぜんぜん雰囲気は違うけど、アルバム一枚で世界のいろんなことを飲み込んで、やさしく肯定して背中を押すかんじが「Life」に似ているなあと思った。それで、そういえば地震があってから「Life」をアルバム通して聞いていないことに気づいて、電車を降りてアルバイト先に向かういつもの道より少し遠回りして何曲か聞きながら歩いた。
1995年当時6歳だった私は、そのころのことなんかほとんど憶えていない。阪神大震災のあとに地下鉄サリン事件が起こり、暗い世の中だったと聞いたことはある。で、それにひとり細い体で立ち向かっていったのが小沢健二だったんだとも(もうこれを書きながらウルウルしています)。小沢健二は「Life」のあと「球体の奏でる音楽」を出すまでは、すばらしくポップな楽曲をシングルでいくつも世に送り出し続けた。それがだいたい1995年くらいのできごとなわけさ。
このあいだの地震が起きた翌日、公式サイトに小沢健二本人のメッセージが載った。なんていうのかな、うまく言葉にできないんだけど、心がざわざわした。ほんとに同じ時間をかれが生きていて、私たちに言葉を伝えたいと思っていることが信じられなかった。去年のツアーをやって、はいおしまい、じゃないし、ましてや「あの人は今」じゃないんだよな。日本にいる私たちの日々の営みに、小沢健二がかかわっている。
震災をきっかけにこんなこと言ってる自分に違和感ありありなんだけど。
うーん。きょうひさしぶりにきちんと「Life」を聞いて、やっぱり私にとってこのアルバムは大切すぎて「大切」なんて言葉じゃ足りないな、って思ったわけです。「共感」でも「あこがれ」でもなくて、この感情をなんていえばよいのか、ほんとわかんないんだけど。
私はあの地震でそれなりに心が傷ついたと思う。程度を誰かと比べるまでもなく(そういうのは、今はあまり意味がない)。昨晩の長い長い余震、ほんとに怖かったね。3月11日に「死ぬかもしれない」って本気で感じたのをありありと思い出してしまった。
「自粛なんかしないで経済を回そう」「被災地は大変」「農作物の風評被害をなくそう」というのはとても大切で重要なことだ。私はなるべく家にこもらないで外でお金を使うようにしている。いまボランティアに行って役に立つ技能が自分にあるとは思えないので、せめてと思って5000円を募金した。小さな力でも、大きく傷ついた場所とかひとのためになりたいと思っている。
でも、じゃあ東京の自分は地震でまったく平気だったのかっていうと、違うでしょ。で、大きいことの前で、被災地にいない個人が受けた傷なんて簡単に見過ごされてしまう。それは健康的なことじゃないな、と思う。
私は東京にいるから東京のことを書くけど、あの日の東京はたくさん揺れて、電車は止まって、電話もメールも使えなかった。いまでも電気はぎりぎりで、きのうみたいな余震だってある。明らかにいままでの日常じゃない時間を、この1ヶ月の私たちはすごしている。よっぽどタフでもなければ、気持ちになんの変化もなくてすむことなんて難しいんじゃないのか。で、それに気づいてどうにかできるのは自分くらいしかいないんじゃないか。
けさ「Life」を聞いて泣きそうになってしまった。あのアルバムで歌われる世界がパラレルワールドだとか過去のものだとかは思わない。逆じゃないかな。現実にある時間の流れぜんぶを愛していいのさ、っていうムードが、あのへなへなした声とあいまって私の脳に溶けていったのさ。はじめて気持ちが緩んで、ああやっぱりプロパーに辛かったんだよねえ私、って思ったのさ。
もちろんこういうことばかり考えていられるわけでもない。きょうの関心ごとといえば、レストランで何十分も料理が出てこなかったことと、借りた母の自転車が盗難に遭ってものすごく怒られたことでしたから…。そうして毎日は続いていくのさ。
ただただ思うのは、生まれてきて「Life」に出会えて、ほんとによかった。ってことさ。

にぶんのいち

きょうの日記を途中まで書いていたけど、どうも理想的すぎる休日をすごしてしまったわりに、できごとを書き連ねるのは好きじゃないなと思ってやめた。簡単に紹介すると、世田谷区にある天然温泉に浸かって、花見をしながらベーグルを食べて、漫画7冊とエッセイ1冊を買って帰った。
ちなみにきのうは朝から新宿で映画を見て、ずっと行ってみたかったカレー屋さんに行く途中で高校の同級生がグループディスカッションに行くところにばったり会って、カレーはめちゃくちゃおいしくて毎週でも通いたくて(こうやって平日にいろいろなまちで昼食をとれるのはもしかしたら学生の特権なのかもしれないことに気づき、できるだけいろいろなお店に行ってみようという決意を新たにした)、ひさしぶりに出版社のお手伝いをして、家に帰ったらカレーが待っていました。
その前は、アルバイトに行ったり、1年生のときからの友人に会ったり、初対面のひとにたくさん会ったりしていた。延びた春休みをしっかり過ごしています。あいかわらずカレーもたくさん食べているよ。
さて、本題ってほどでもないけどさいきん考えてたこと。
バレンタインデー、ヒッチハイク、らくがき、下ネタ、ひどい悪ふざけ、見えなくなるほど遠くにボールを投げれる強い肩、うらやましくて男の子になりたかった。
中学とか高校時代のバカ話を聞くと、なんで私は女の子に生まれちゃったんだろうと思う。楽しいことはみんな男の子が持って行ってしまう。あの集団に入れたらな、と、あほなことをやっている男子たちの姿を教室のすみっこでながめていた。
大化の改新のストーリーがものすごく好きで、舞台となった明日香村に何度も足を運んだ。それだって、大化の改新が中大兄と鎌足の固い友情に依ったできごとだからだと思う(史実がどうであろうと私はそう信じている)。入鹿の首塚で涙をこらえることは、私にはできません…。
大学に入ってから、そういうあこがれがあまりなくなってしまった。私の通う大学には男女だけでなく「第三の性」というものがあるらしく、「男子だけ」でなにかをやっている風景を見ることがあまりないからかな。いや、だってワセジョだってれっきとした女だろ…。
先日、電車で目の前にいたサラリーマンふたりが『Hanako for MEN』を開いておしゃべりしていた。ふたりとも色白。黒縁のめがねをかけていて、もちものが絵本やらアルパカのストラップやら、やたらとかわいい。「眼前に疲れた顔をして立っている女性がいるというのに座って仲良くハナコフォーメンを読むことが男子力の向上になるなんて私は信じない…」などと利己的(かつ理不尽に女性優位的)な理由から呪詛を唱えていたはずが、あまりにふたりの雰囲気がやさしいので、ほわんとしてしまった。
そういうわけで『Hanako for MEN』を思わず買ってしまった。で、昔いだいていたあの憧憬が再燃した…。「僕達のアジト」という特集、アジトってシンジケートの居場所のことだろうか。女の子を連れて行く店なんか紹介されていない。男同士でなにかを語り合うための店、みたいなのばかり載っているのである。うらやましすぎる…。
完全に脳天を撃ち抜かれたのはレシピのページ。はちみつを使ったレシピがいくつか…とここまで読んで、おしゃれ七三分けにカーディガンで細身の男性(なんとか男子のたぐい)がきゃわいくお料理している姿を思い浮かべた自分を恥じました。料理の写真が男らしくて豪快でとっても素敵なの!フレンチトースト、食べかけ。女性向けの本ではありえない。
いつもそう。素敵なことは女人禁制だよね。
生まれ変わったら、まずどうしようもなく貞操観念のないビッチになって、その次は男の子になりたいと思う。麻布中の入試問題と相性が良いから、きっと入れるはずだ。魔法使いにはなりなくないな。
車内で仲良く『Hanako for MEN』を読んでいた男性ふたりは一緒に途中下車していった。ふたりは恋人どうしだった。現世ではぜったいあのふたりになれない。