(長いです)沖縄に行った話

沖縄に行って帰ってきて、なんだか少しは平静を取り戻せた心持ちがしています。東京を離れたのがよかったのか、それともただ時間がたっただけなのかはなんともいえないけれど。
もう三度目ともなるとがしがし観光する気も起きず、丸一日かけて久高島というところまで自転車で往復してきた以外はぐうたらした旅行だったよ。早々に沖縄料理にも飽きてしまって、ただただ地元のおいしい店に行ったりしていたしなあ。妹とふたりで行くと気楽でいいものです(かかったお金はとりあえず私がすべて立て替えていたのですが、返済のめどがまったくたっていないことが発覚したときはさすがに腹が立ちましたが)。
こんどの旅行で確信したのは「沖縄は、三線の音色が聞こえない場所がおもしろい」ということでしょうか。国際通りだとか第一公設市場は、どこも似たり寄ったりのみやげもの屋ばかりでほんとうにつまらない。初めて来た人も一時間で飽きるでしょう。二日目あたりからは沖縄的なものすべてがしらじらしく思えてくるという謎の感情を、旅行に来たはずなのに味わえることうけあいです。
それよりも、適当に裏通りへ入ってみたり、本屋さんやスーパーマーケットに行ったほうが私は楽しいなあと思います。それはどこに行ってもそうだけれど、沖縄は完全なる観光地だから、とくに。本州とは歴史とか文化とか、いやそれ以前に自然・地理的条件がちがうから、とにかく地元っぽいものがほんとうにおもしろいです。
というわけで、沖縄で見たり聞いたり思ったりしたことを書きます。

最初のほうに書いたけど、自転車で久高島まで行ったのが楽しかった。那覇沖縄本島南部の左端にあって、久高島行きのフェリーが出る港は右端。つまり(縦長の島とはいえ)沖縄本島を横断したわけさ!片道だいたい25km強、那覇市内でマウンテンバイクを借りて行きました。
道中とくに変わったことやおもしろいことはそんなになかったけど、途中から海沿いの道を行くのが最高に気持ちよかった。車だと気づかないような、外気のかおり、妙に低い塀、すれちがう人からのあたたかい声援(沖縄では16になったら原チャリの免許を取るのがスタンダードだそうで、いつまでも自転車に乗るやつは珍しい、というかださいらしい…)なんかもよかった(個人的には、首里城近くにある金城ダムの景色もとてもすばらしかった。ダム萌えなどという言葉では語りつくせない、まるで古代文明の遺跡のようなロマンあふれるダムでした)。
そんなふうに楽しくサイクリングしていたら、「港まであと10km」の表示を見たときすでに出航45分前…。ふだん12kmほど離れた大学に通うのに1時間強かかるので、本当にまずい…!
まあ結果からいえば間に合ったのですが、上り坂気味の道を無言でかっ飛ばし続けて、沖縄だから暑いし、ちっちゃい虫とかいるし、すっごくつかれた…。10kmを30分で走破するという自己最高記録を打ち立ててしまったよ。10kmっていうと、新宿を起点に考えると、南は自由が丘、北は赤羽、東は両国、西は西荻窪。けっこうな距離なのだよ。
追加料金を払って、フェリーにマウンテンバイクを積む。船内ではずっと化粧品通販のCMをやってた。プロアクティブとか。私は乾燥肌で2か月にひとつくらいしかにきびができないんだけど、あったら身近なトップお悩みになるのだろうな…。
そうして着いた久高島は、琉球神話の聖地(神様が最初に降り立ったところらしい)というわけで、意外と観光客がいてびっくりした。なんと土地が総有制なんだそうだよ…。いろいろな過去の偉人たちが泣いて喜びそうですね。小さな島なので自転車で回るにはぴったりで、自然と海のあふれるいいところでした。

久高島名物のイラブー汁。「イラブー」が何か気になる人は検索してみてね。なんていうか、イラブーが入っていないほうが精神的に落ち着くし、味もおいしくなるような気がした…。しかしイラブーを食べてしまった私の体はいまやイラブーで構成されているのである!
そのあと別のお店でぜんざいをいただいた。沖縄のぜんざいは黒糖あんこのようなものにかき氷がかかっているんだけど、「氷を削る機械がいまこわれた」と店のおばちゃんに言われ、「じゃあけっこうです」と言ったのに無理やり削っていないでかい氷ののったぜんざいを出され、がりがり噛んで食べ終わった数分後に「お金まだ?」と言われました…。おいしかったからいいんですけど…。
私たちのほかにママ友どうし+3歳くらいの娘さんふたりの4人組がいて、「パパどうしてきてないの」「働いているからだよ」「なんで働いているの」「私たちが遊んで暮らしているからだよ」という会話をしていたので思わず声を出して笑ってしまいました。ごめんなさい…。

久高島のすばらしい海を背に疲れ切っているわたくし。帰りは基本的に下り坂だったので1時間半くらいしかかかりませんでした。斎場御嶽というこれまた聖地に寄ったりしました。「せいふぁーうたき」って読むんだぜ。

その翌日は地元民の集まる食堂で朝食をいただいた。ものすごい大量の豆腐ちゃんぷるーを出されたけど(おそらく豆腐二丁にほうれんそう二わくらい)、信じられないレベルでおいしすぎたため完食はわけなかった。途中で「ただいま」といかにも定職についていなさそうなおじさんが入ってきて、この2か月タイにいたけどこれから那覇で店を開く、といったような話を店のおばぁにしていた。仕事の内容はよくわからなかったけれども、なんだかとりあえずおじさんはこれまでの態度をおばぁに叱られていた。おじさんはことあるごとに私たちを会話の輪に入れようとしていたが、おばぁに「ここは食べるところだから話すな」と言われてしまい、どうすればよいのかわからなったので黙々と食事をとった。おじさんはタイには行ったことがあるのに、名古屋より東には行ったことがないそうだ。わーお。

その日はバスに乗って美ら海水族館に行き(あほみたいに時間とお金がかかるからおすすめしない。免許を持っていないならタクシーの運転手に交渉すればけっこう安く行ける)、その近所にある食堂で昼食をいただいた。そこのおじさんが強烈だった。
まあこのリンク先に飛べばだいたいわかると思うんだけど。
http://www.geocities.jp/kokko_bise/
最初の会話が「おれは人と違う力を持っている」「911北朝鮮の韓国砲撃も、こんどの地震もテレパシーでわかっていた」。台風の進路が変わったから地盤が動いていることは幼稚園児でもわかることであり(台風はあたたかいところを好むため、地盤の裂け目に沿って動くらしい)、だから東北で大きな地震が起きたそうだ。そういった説明を1時間半もされてしまったため「お姉ちゃんがまじめに聞くからつけあがるんだよ」と妹にマジギレされた。ごめんなさい。この理論を出版すれば私たちの通う大学で博士号を取れるかとか聞かれたので、学会で認められればいいんじゃないですか、と答えておいた。
東北大かどこかの院生がお店に来たことがあるらしい。その女の子ふたりは理系でキツネだかなんだかの研究をしているらしく、おじさんは二人を怒ったそうだ。6年も大学に学費を払ってなんの役にも立たない勉強をして、嫁にも行けなければ仕事も見つからないぞと。「地震で死んだんじゃないかな。あ、でもキツネは山にいるから大丈夫か」とのことだ。ちなみにおじさんはこの地震を予言していたのに誰も本気にしてくれず政府が対応しなかったのが悪いのだと話し、「これは天災じゃなくて人災なんだ」と息巻いていた。
ちなみにごはんはほんとうにおいしかった。東京でのれん分けを募集しているそうなので、気になる人は連絡してみるといいと思うよ。「ぜったいにもうかる。一日に千人が並ぶ」そうです。
お店にあったノートに全国各地からの寄せ書きがあって、心がなごんだ。

私はこういう絵が非常に好きだ。

ビーチや居酒屋の入り口付近などでひんぱんにDA PUMPのリミックスを聞くことができた。なぜリミックスなのだろう。それにしても、富樫明生は天才だと思う。私はDA PUMPが好きだ。

最終日は夕方まで個人行動。朝は初日に行ったインドカレーの店にまた行き、地元のおじさんに話し相手になってもらった。ほんとうにいい人だった。沖縄についてうちなーんちゅがどう考えているのか、ガイドブックでもまちを見ただけでもわからないことをたくさん聞かせてくれた。私は旅に、こういう出会いを求めていたのだ…。
その後は首里城近くの公園で地元出版社から出ている『沖縄県民の研究』みたいなタイトルの文庫を読んだりして、ゆっくり過ごした。首里城には入らなかったが、とかくたくさんの修学旅行生がいた。こいつら夜になったら恋バナでもするんだろうな、と思うときゅんとしてしまった。同一コミュニティ内でぐちゃぐちゃの人間関係を築けるエネルギーなど、もう20代になった大学生には残っていないのである。

スカイマークは思ったよりもぜんぜんひどくなかった。羽田空港から吉祥寺駅へのバスは、金曜日の夜だったこともあって、私たち以外はみな出張帰りのサラリーマンのようだった。おつかれさまです。斜め前の若い男性がアンドロイドでずっとずっと「食べログ」を見ていて、友達になれそうだと思った。

この旅行でいちばんうれしかったのは、何度か地元民に間違えられたこと。顔うすいのに。