地域社会圏モデル

っていう本がちょっと前に出たそうで、昨日その記念トークに行ってきたー。これね→建築コンペ・イベント情報 --【KENCHIKU】「出たそうで」って書いているってことはつまり、読まずに行ったんだよねー。それどころか著者がどんな方かすら知らなかったー。わーい。無知乙!だってお相手が三浦展で、「風景の貧困」っていうイベントだったから、自分の問題意識にかすりもしないことはないんじゃないかなって。ファスト風土の話を聞けるだろうと(とはいえ、三浦氏は郊外型ニュータウン批判をしているけど、私はけっこうああいう気持ち悪い町を見に行くのが好きだったりするんだけど)。
それで行ってみたら、著者の山本理顕さんという方は建築家で、そういえばINAX出版って建築系の出版社だよねってことで、ほとんど建築を学ぶ若者が会場を埋めていた感じ。見た感じだけど。でもみんなおしゃれだし(まじで偏見)、ノートにスケッチしてる人とかいたし、最後の質疑応答は質問者がみんな大学名言ってたし…つまり学部は言わずもがなってことだったのだろうか。ひとりは研究室の名前も言ってた。あと私が憧れてやまないようなすごく細くて白くてきれいでちょっと厚着で黒髪の女の子とかいたな。文系の私は場違いなのではないか、という思いがちらりと頭をかすめたりしましたん。小心者なんだよねー。でも対談が始まってみたら、わからなかったことがほとんどなかった!よかったあ。それでたくさん知的好奇心とすこし劣等感がくすぐられて、また明日からも楽しく生きていけそうな気分になったから日記を書いています。文章にしないと忘れるし。
とはいえメモを晒すのは芸がないよな…。んーまず、これから経済成長は鈍くなって、そしたら定常化社会がくる。人も減るし需要は減って金もなくなる。たぶん。そして家族幻想は消えていき、地域のお付き合いも減り、個人はばらばらになってゆく。粘土から砂になるみたいに。という状況をうまく生きていくために地域社会圏モデルという概念ができた、って話なのかな?いかんせん本を読んでいないと前提をしっかり理解していないわけだから困るわね!一つの住居に一つの家族が住むっていう状況が当然とされてきたけど、じつはそんなことなくて、もっとゆるく「みんなで」暮らしていけないかっていう問題提起なんだと思う。三浦さんは「シェア型コミュニティ(共異体)」って表現していた。カリフォルニアにあるVillage Homes(http://www.villagehomesdavis.org/)っていう住居群のスライドを見たんだけどさ、ヒッピー文化の文脈の中にあって、住んでいる人が生活の中で人間関係を作っていって仲良くしてるの。新しく来る人のためにみんなで家建てたりすんの。緑豊かなコミューン。そしてクリークが流れているっていう…!もはやこれ西瓜糖の世界なんじゃないのか…?うらやましすぎる…。でもじつは日本にもそういうシェアハウスがあって、高円寺の古い木造建築をリノベーションして住んでるの。中にでかいテラスがあったり、共用キッチンでカレー作ったりしてるの。やべええええ。「コミュニティとはあいさつをすることだ」という論があるそうで、こういうゆるいけど心地よいつながりを保っていかないと、やっぱり人生の中でどうしてもひとりじゃやっていけなくなるとき(子育てとか親の介護とかさ)がある。そういうときに行政に頼るしかなくなってしまう。という。はいそれ補完性の原理に反しますよね!だから近所で助け合おうよ、という。山本さんいわく、ツイッター上のコミュニティはコミュニティもどきにすぎず、時間を共有しているようには見える。でもやっぱり人間は生きているからどこかにいなくてはいけない。それで場所性っていうのは大事なのよっていう。ふむ!前半はどうかわからないけど後半については同意だなー。その場にいないとできないサービスって山ほどあるもんね。(これこないだの論壇時評につなげて考えたいけど頭がたりないよ!)それでその場で暮らしている人どうしでゆるくつながって生きていけたらいいねっていうのが大体の流れでした。
面白い例だな、と思ったのが、パリで一人暮らしをするお年寄りの家に、パリに出たい若者を住まわせるNPOの話。パリも暑い夏だそうで、熱中症でひとりで死んじゃう人がいるんだって。だから地方の若者に無料だか格安でそのおじいさんおばあさんの家のどっかの部屋を貸す。条件は、平日の夜は家にいること。だって。タテワリ的な発想では、こういうこと、できないよね。
で、対談を聞いてまず強く感じたのが、三浦さんが中央線の人間なんだなってことかな…。ごめんなさいくだらない感想で!あの人、大学が国立(こくりつじゃなくてくにたち)だしね。一橋だからこくりつでもあるんだけどさ!挙げた地名がほとんど中央線沿線だったぞ。荻窪、八王子、高円寺、阿佐ヶ谷、等。東京R不動産見るの好きっていってたし…。あとね、『下流社会』が有名だと思うんだけどあのひと『吉祥寺スタイル』って本を書いているんだよ。吉祥寺礼賛本。あと別の本の中で私がいちばん好きな吉祥寺の雑貨店のこと「日本で一番センスの良い雑貨屋」って書いてたもん。生活圏近…。『下流社会』か何かに載っている若者の写真も良く見ると吉祥寺で撮られていたりね。
あとは、夢を語る人っていなきゃいけないんだなって思った。地域社会圏モデル的なコミュニティってなかなかできないと思うの。議論にもでたけど、助け合いの中で公的な資格が問題になってくる場面がかならず出てくる。マッサージとか料理とかそういうのもだし、医療行為とかさ。ホメオパシーが話題になってますね。それにコミュニティの中にどうしようもなくうざいやつとか気の合わないやつがきっといる。シェアハウスで色恋沙汰とか、考えただけでだるい。あと山本さんが言ってたけど、そういう高円寺のシェアハウス的なものはキャラクターを選ぶ。だいたいそのコミュニティに入りたい人がたくさんいたら、どういう基準でひとを選ぶのさ、っていう。Village Homesは、何十年か前にできたときは1000万円くらいだったものが、価値が上がって5億円くらいになっているんだって。砂粒みたいな個人どうしがつながるための家が、もしも金持ちだけのものになったら意味ないと思う。まあそれはフリースクールとかにも言える話なんだろうけど。パリの話だって、それなりに審査しないとろくでもないやつが老人の家に住んじゃうことになるかもしれない。それでも、理想を提示するのは大事なことなんだな。「地域社会圏モデルのモデルって言葉は、ファッションモデルのモデルと同じようなもの。パリコレの服をそこらへんで着たら変になるように、モデルはモデルであって、それを下敷きにして現実に合わせて考えるべき」というようなことを三浦さんが言ってた。なるほどな!ちょっと批判に回りすぎていた気がした。反省。まだ若いんだしもっと夢見ていいよね。
私はあまりに数学ができないので理系には行けなかった。16歳くらいのときは建築やりたいなって思ってたの。だからけっこうコンプレックスがある気がしていたし、きのう会場に入ったときもちょっと苦しかった。だってみんなおしゃれでかっこよくて、私のできなかったことやってて、しかも職業に直結した勉強をしてるんだよ。彼らが模型を作ったり構造計算をしたり建築史を学ぶあいだ、私はかっこいい建物を見ても「かっこいいたてものだなあ」としか思えない。この差、苦しすぎる…。でも、対談の中で私のよく読む書き手とか、すごいなって思った本が何度も出てきて、あとは自分が考えていたことにたまにリンクしたりすることもあって、あーなんかこれまでそれなりに文系学部にいて文系のお勉強をしてきてよかったなって思った。し、きっとこれから私は彼らに気持ちは負けないでやっていけるんじゃないかな、とも思えた。だから行ってよかった!いい日だった!
なんだかやはりあまりうまくまとまらなかったな…。おーわり。ちなみに上記すごいなと思った本のひとつに広井良典『コミュニティを問い直す』というのがありまして、これ目からウロコなのでみなさんぜひ。