ノルウェイの森について

頭の悪い記事を書いてしまったことへの自己嫌悪が半端ございません…。
このあいだ『ノルウェイの森』を6年ぶりに読んだ。ほかの村上春樹作品とくらべるととても読みやすいね、そりゃあ15歳の子も読めるわけだと思った。もちろんこの6年のあいだにおそろしくいろいろなことがおきたぶん考え方だとか感じ方は変わったしゆたかになったはずですが、15歳のときにおそらくこの小説の大意は読み取れていたみたいなので、意外と頭悪くなかったんじゃないのか。いやしかし、日本人の何百万人が読んだんだから、まあ私の頭は日本人の何百万人の中のひとつということになろう。それはそれでいいんだよ。なにもかも偶然なのだけれど、私と同名(って字面は違うけど読みはいっしょ)の登場人物と知らず知らず似たような経験をしていたことに軽い衝撃をおぼえた。べつに姉や恋人を自殺で亡くしたわけではありません。
小説自体の評論や感想は書くのを控えますが、気がついたことがいくつかあります。
ひとつめは昨今話題の「意識の高い学生」について。この小説は、よく知られているように、学生運動まっさかりの時代が舞台です。私はこの時代に生きていたわけじゃないからはっきりものを言えるわけではないにせよ、現代の「意識の高い学生」たちがもし60年代にいたとしたら、彼らは学生運動をやっていた気がします。この小説を読むかぎりね。
ふたつめは、よく「村上春樹はブンガクというより官能小説じゃん」との声をよく耳にするのですが、たしかに6年前に読んだときは「過激だな」と思わなかったでもないけれど、いま読むと特に性描写についてはなにも感じなかった…。話を進めるうえで必要だったんじゃないかい。だいたい登場人物の服装や、出てくる食事についてはこまかく描かれているのに、セックスだけ「寝た」とかだけ書くのは不平等なんじゃないかしら…。私見ですよ私見ツイッターでも言ったけれど、サークルがんばって就活もがんばってみんなの憧れる企業からいくつも内定をもらった、私にしてみれば超人みたいな人が、「村上春樹は好きじゃない。登場人物が簡単にセックスするからだ」と真摯な文体で書いていたわけ。そういうことを真剣に書けるその人にものすごく好感を持ってしまったわけですが、なんかさ、みんなそこまでセックスを特別に思わなくてもいいのに…というのは普段生きているなかでひりひりと感じるところであります。なんとなくです。なんか、もんもんとされているかたがいたらすみませんが…。あれですね、私は全然テレビを見ないんだけど、テレビっ子のほうがおおいとか、そういう感じなのかもしれません。ちなみに先述のブログはこれ。→ http://blog.livedoor.jp/taro_0726/archives/51263282.html
みっつめ、物語も終わりの終わり、登場人物がビートルズの曲をギターで演奏する場面があります。とくにネタバレでもないと思うのでちょっとだけ引用します。

「この人たちはたしかに人生の哀しみとか優しさとかいうものをよく知っているわね」
この人たち(原文は傍点をふって強調しています)というのはもちろんジョン・レノンポール・マッカートニー、それにジョージ・ハリソンのことだった。

…リンゴ無視かよ!ホワイトアルバムを出したあとで自分が曲を作れないのがつらくていっとき脱退まで考えたリンゴの哀しみはどこへいったんだよ!私はオクトパスガーデン好きだよ!と思ってしまったので、奇妙な読後感でした。なんでわざわざリンゴを抜かしたのかぜんぜんわかりません。そこで演奏された曲を作っていないからなんでしょうか。簡単にセックスするのは自由ですが、ビートルズは四人で、それを変えるのはできないと思います。
ともかく、読み終わったあとに自分の脳内文体まで支配されてしまう作家はほとんどいないけれど、私にとって村上春樹はそういう人です。諸手をあげて「好き!」とまでは言えないのですが、でもこの感覚にひたりたいのでたまーに読み返します。